「業績が振るわないマネージャーの役職を外して、給与も下げたい。でも、本人に同意書を書かせればそれでいいのか……?」——こうした判断を、根拠のないまま進めてしまう中小企業は少なくありません。降格・給与引き下げは会社の裁量で動かせる部分もありますが、手続きを誤ると後から「無効」と判断され、差額賃金をさかのぼって請求されるリスクがあります。この記事では、降格・降給を適法に進めるために押さえておくべき法的な区分・同意の取り方・手続きのポイントを実務目線で整理します。
降格には2種類ある——混同が最大のリスク
降格には「人事権行使」と「懲戒処分」の2種類があり、どちらを根拠にするかによって必要な手続きがまったく異なります。この区別を曖昧にしたまま進めると、「どちらの根拠もない降格」として無効になるリスクが生じます。
人事権行使としての降格
業務上の必要性や能力評価に基づいて職位・配置を変更するのが、人事権行使としての降格です。就業規則に人事権の規定があれば、原則として本人の同意は不要とされています。ただし、「業務上の必要性がある」「不利益の程度が過大でない」「手続きが相当である」「報復目的でない」という要件を満たさなければ、労働契約法第3条第5項の「権利濫用」として無効になります。
懲戒処分としての降格(降職)
服務規律違反や問題行動に対するペナルティとして行うのが懲戒処分としての降格です。こちらは就業規則への明記が労働基準法第89条第9号で義務付けられており、規定がなければそもそも実施できません。本人の同意は不要ですが、弁明の機会の付与や二重処分の禁止など、より厳格な手続き要件が課されます。
どちらの根拠で進めるかを最初に決める
実務でよくある失敗は、「問題社員だから降格する」という目的は決まっているのに、根拠が人事権なのか懲戒なのかを決めないまま話が進んでしまうケースです。両者は手続きも根拠規定も異なります。降格を検討する段階で、まず「どちらの根拠で動くか」を確定させることが、後のトラブルを防ぐ第一歩です。
| 区分 | 主な根拠 | 本人同意 | 就業規則の要件 |
|---|---|---|---|
| 人事権行使としての降格 | 就業規則の人事権規定 | 原則不要 | 人事権・配置変更の規定が必要 |
| 懲戒処分としての降格 | 就業規則の懲戒規定 | 不要 | 懲戒の種類・対象行為の明記が必須 |
給与引き下げの「同意」——署名だけでは不十分な理由
賃金の引き下げには原則として労働者の同意が必要ですが、形式的な署名・押印があるだけでは法的に有効な同意とみなされないケースがあります。重要なのは「真意に基づく同意かどうか」です。
労働契約法が定める同意の原則
労働契約法第8条は、労使の合意による労働条件変更を認めています。一方、第9条は就業規則の一方的な不利益変更を原則無効とし、第10条では「合理的な変更内容+周知」があれば個別同意なしでも変更できるとしていますが、賃金のような本質的な条件についての「合理性」のハードルは非常に高く設定されています。
「真意に基づく同意」が問われた判例
最高裁令和2年10月22日の山梨県民信用組合事件では、署名・押印のある同意書があっても、「変更後の具体的内容について十分な説明がなかった」「その場で即日署名を求められた」などの事情から、真意に基づく同意ではないと判断されました。同意書を取得する際の状況・プロセスそのものが問われる点に注意が必要です。
同意書取得で避けるべき行為
具体的には、次のような状況での署名取得は後から「強制・錯誤」と主張される余地を生みます。一方的な呼び出しで即日署名を求める、変更後の賃金額を明示せず署名させる、「これに同意しないと解雇になる」などの発言をする——こうした場面は記録に残り、労働審判や訴訟で不利な証拠になります。面談は複数回実施し、変更内容・理由・金額を書面で説明したうえで、署名には一定の検討期間を設けることが実務上の基本です。
懲戒処分として降格するときの手続き要件
懲戒処分としての降格は、就業規則の規定・比例原則・弁明機会・二重処分禁止のすべてが揃わないと無効リスクが高くなります。一つでも欠けると処分全体が否定される可能性があります。
就業規則への明記が絶対条件
労働基準法第89条第9号は、懲戒の種類・程度を就業規則に定めることを義務付けています。「降格(降職)」という処分の種類が就業規則に記載されていない場合、その処分はそもそも行えません。「うちには懲戒規定はあるが、降格まで書いていない」というケースは中小企業に多く見られます。現行の就業規則を今一度確認してください。
比例原則と弁明機会の確保
懲戒処分は、非違行為の重さに比例した処分でなければなりません。軽微な遅刻を理由にマネージャーから平社員へ降格するような処分は「重すぎる」として無効とされる可能性があります。また、処分を下す前に本人が弁明できる機会(事情聴取・弁明書の提出など)を設けることが必要です。この手続きを省くと、処分の相当性が大きく損なわれます。
二重処分の禁止を忘れずに
同一の非違行為に対して、降格と減給・出勤停止などの処分を重ねて科すことは「二重処分」として許されません。一つの事案に対してどの処分を選択するかを決定し、それ以外の制裁は加えないという原則を守る必要があります。
就業規則・賃金規程が整備されていない場合のリスク
降格・降給のいずれについても、就業規則や賃金規程に根拠規定がなければ、会社の裁量で動かせる範囲は著しく狭くなります。専任人事がいない中小企業ほど、この整備が後回しになりがちです。
「なんとなく払ってきた役職手当」の落とし穴
役職手当が賃金規程に明記されておらず、慣行として支払われてきた場合、「役職を外したから手当も廃止」という対応が通じないことがあります。労働契約の内容として定着している賃金項目は、就業規則の根拠なしに一方的に廃止することが難しいためです。役職手当の支給条件・廃止条件を賃金規程で明確にしておくことが、降給をスムーズに進めるための前提条件です。
降格規定がない状態で降格を行うリスク
人事権行使として降格する場合でも、就業規則に「会社は業務上の必要性に応じて職位・職務を変更することがある」という規定がなければ、その根拠が曖昧になります。こうした規定を整備していない状態で降格を実施すると、後から「契約上の根拠がない変更だ」と主張される余地を与えてしまいます。
就業規則の整備を後回しにしてはいけない理由
就業規則は、常時10人以上の労働者を使用する事業場では労働基準法第89条により作成・届出が義務です。10人未満であっても、整備しておくことは会社を守るうえで不可欠です。特に成長フェーズにある企業では、組織が大きくなるにつれて人事上の判断を迫られる場面が増えます。問題が起きてから降格・給与引き下げの規定を作るのでは遅く、実際に効力を持たせるためには問題発生前に整備・周知を済ませておく必要があります。
手続きを誤った場合の訴訟リスクと対応
降格・降給の手続きに瑕疵があると、地位確認訴訟・差額賃金請求・労働審判といった法的手続きに発展するリスクがあります。中小企業こそ、このリスクの深刻さを事前に理解しておく必要があります。
地位確認訴訟・差額賃金請求の現実
降格・降給が無効と判断された場合、裁判所は「元の役職・賃金に戻す」という判決を出すだけでなく、その後の差額賃金(本来受け取るべきだった賃金と実際に支払った賃金の差)の支払いも命じます。処分から判決まで数年かかることもあるため、差額が積み重なって経営上の大きな負担になります。
労働審判の特徴と中小企業への影響
労働審判は、申し立てから原則3回以内の期日で判断が出る迅速な手続きです。スピードが速い分、会社側が準備不足のまま対応を迫られることになります。就業規則・賃金規程・面談記録・同意書の整備状況が直接審判の結果に影響するため、事後対応ではなく事前の手続き整備が不可欠です。
付加金・慰謝料が加わるケース
悪意のある運用や著しく不当な手続きが認定されると、労働基準法第114条の付加金(未払い賃金と同額の追加支払い)や慰謝料が加算されることがあります。金銭的なリスクが通常の差額請求を大きく上回る可能性があるため、「問題社員だから強引に進めても大丈夫」という考え方は非常に危険です。
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実務で使える手続きの進め方
降格・降給を適法に進めるためには、根拠の確認・就業規則の整備・丁寧な面談プロセスという流れを踏むことが重要です。以下に実務上の基本的な進め方を整理します。
根拠の確認と就業規則の整備
まず最初に、今回の降格が「人事権行使」か「懲戒処分」かを確定させます。次に、その根拠となる規定が就業規則・賃金規程に存在するかを確認します。規定がない場合は、降格・降給の実施前に規定を整備・届出・周知することが必要です。既存の従業員に不利益変更となる場合は、労働契約法第10条の合理性要件を検討したうえで慎重に進めます。
面談・説明・記録のプロセス
本人への説明は、変更の理由・内容・変更後の賃金額を書面で示しながら行います。面談は一度きりにせず、複数回実施して本人が疑問を解消できる機会を設けます。面談の日時・出席者・説明内容・本人の反応は議事録として残し、後から「そんな話は聞いていない」と言われないよう証拠を整えます。
同意書の取得と検討期間の設定
賃金引き下げに対して同意書を取得する場合は、面談後に一定の検討期間(数日~1週間程度)を設け、本人が自分の意思で署名できる状況を作ります。同意書には変更後の賃金額・適用開始日・変更理由を明記し、「会社からの説明を受け、内容を理解したうえで同意する」という文言を入れることで、後から「意味がわからないまま署名させられた」という主張を防ぎます。
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まとめ
降格・給与引き下げを適法に進めるには、「人事権行使」か「懲戒処分」かの区分を最初に確定し、それぞれの根拠規定が就業規則に整備されているかを確認することが出発点です。賃金の引き下げは、形式的な同意書があるだけでは不十分で、真意に基づく同意が得られるプロセスを踏む必要があります。手続きを誤れば、差額賃金の請求や労働審判・訴訟に発展するリスクがあります。
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よくある質問
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