「うちの社員が、評価面談の内容をXに投稿していた——」。ある日突然そんな事実が発覚したとき、あなたはどう動きますか。注意しようにも、就業規則に評価情報の秘密保持を明記していなければ、指導の根拠があいまいになります。しかも退職後に口コミサイトへ詳細な評価コメントを書かれるケースも増えており、「そうなってから慌てる」前に制度を整えておくことが、今の企業に求められています。この記事では、法的根拠・就業規則の整備・同意書の文言まで、実務に即して解説します。
評価情報がSNSに流れると何が問題になるのか
人事評価情報のSNS投稿は、会社の信用毀損・採用ブランドへのダメージ・他の社員のプライバシー侵害という三重のリスクをはらんでいます。まずこのリスクの構造を理解することが、制度整備の動機になります。
会社が受ける実害
評価基準や評価点がSNSで可視化されると、求職者が「この会社の評価は不透明だ」と判断して応募を避けるケースがあります。また、評価コメントに他の社員名が含まれていれば、その社員のプライバシー侵害にもつながります。特に小規模な企業では投稿された情報から個人が特定されやすく、職場の人間関係が壊れるリスクも無視できません。
投稿した社員側の問題
投稿者が自分自身の評価結果を書く場合、個人情報保護法の「第三者提供」規制は直接は問題になりません。しかし、評価コメントに上司や同僚の発言が含まれていれば、それらの人物の個人情報を本人の同意なく開示したことになります。さらに評価制度の設計情報(評価基準・ウェイト・ロジックなど)が含まれる場合は、不正競争防止法が問題になる可能性があります。
放置するとエスカレートする
最初は軽い愚痴投稿でも、他のユーザーが反応して拡散されると削除が困難になります。Glassdoor・OpenWorkなどの口コミサイトは検索エンジンに強く、放置すれば長期間、採用活動や取引先との信頼関係に影響し続けます。「1件だから大丈夫」という判断が最大のリスクです。
評価情報は法的に「秘密」として守れるのか
結論からいえば、評価情報は就業規則への明示と社内管理体制の整備を行えば、法的に「秘密」として保護できます。ただし「なんとなく秘密のはず」という状態では、社員から問い返されたときに根拠を示せません。
労働契約上の付随義務
判例・学説上、労働者は労働契約に付随する誠実義務の一環として、一定の秘密保持義務を負うとされています。つまり就業規則に明記がなくても、まったく守秘義務がないわけではありません。しかし、懲戒処分(戒告・減給・出勤停止・懲戒解雇)を行うには、労働基準法第89条に基づき就業規則に懲戒事由を明記することが実務上不可欠です。「法律上なんとなく義務がある」だけでは、処分の根拠として不十分なのです。
不正競争防止法の「営業秘密」として守る場合
評価制度の設計情報(評価基準・ウェイト・評価ロジックなど)は、不正競争防止法第2条第6項の「営業秘密」として保護される可能性があります。ただし、営業秘密として認められるには次の三要件をすべて満たす必要があります。
- 秘密として管理されていること(秘密管理性)
- 有用な営業上の情報であること(有用性)
- 公然と知られていないこと(非公知性)
特に「秘密管理性」がポイントで、社内で明示的に秘密指定し、アクセス制限や管理台帳などの管理実態があることが求められます。口頭で「これは秘密だよ」と伝えているだけでは、要件を満たしません。
個人の評価結果には個人情報保護法も関わる
個人の評価結果・評価コメント・氏名が一体化した情報は、個人情報保護法上の個人情報に該当します。社員が自分の評価情報だけを投稿する場合は本人の行為なので直接問題になりにくいですが、他の社員の情報(上司のフィードバックコメントや評価点など)が含まれる場合は、その人物の個人情報を目的外に利用・開示したことになり得ます。就業規則の秘密保持条項と組み合わせて、指導の根拠を多層的に確保しておくことが有効です。
機密区分の設定——「秘密」を明確に定義する
制度的対処の出発点は、評価情報を会社として正式に「機密」と定義することです。機密区分を設けて情報管理規程や就業規則に落とし込むことで、社員への周知と法的根拠の両方を同時に確保できます。
機密区分の設計例
| 区分 | 対象情報の例 | 取扱いルールの例 |
|---|---|---|
| 極秘 | 評価基準のウェイト・評価ロジック・賃金テーブル | 担当役員・人事のみ閲覧可 |
| 社外秘 | 個人の評価結果・評価コメント・評価点 | 社内関係者のみ、口頭・書面問わず外部開示禁止 |
| 関係者限り | 評価面談の内容・フィードバックメモ | 上長・人事のみ、社内でも共有範囲を限定 |
小規模企業での現実的な運用
専任人事がいない20〜50名規模の会社では、複雑な情報管理規程を一から作るのは負担が大きいかもしれません。その場合は、既存の就業規則の秘密保持条項に「人事評価情報(評価結果・評価コメント・評価プロセスを含む)を社外秘情報とする」と一行追記するところから始めるのが現実的です。完璧な体系より「明示されている」事実が重要です。
情報管理の実態を作ることも必要
書類上の区分だけでなく、管理の実態も求められます。たとえば、評価シートを紙で管理している場合は施錠できるキャビネットに保管する、クラウド管理の場合はアクセス権限を人事・上長に限定する、といった措置です。不正競争防止法上の「秘密管理性」を満たすためにも、こうした実態の整備が不可欠です。
就業規則をどう整備するか
社員への法的拘束力を持たせるには、就業規則への明記が最も確実な手段です。整備にあたっては、対象情報の明示・禁止行為の具体化・懲戒規定との連動という三点を押さえてください。
対象情報を個別に列挙する
「業務上知り得た情報」という包括条項だけでは、社員から「評価情報がそれに含まれるとは思わなかった」と反論される余地が生まれます。包括条項に加えて、「人事評価情報(評価結果・評価コメント・評価面談の内容・評価プロセスを含む)」と個別に列挙することで、この余地をふさぎます。就業規則の変更は労働基準法第90条に基づき労働者代表への意見聴取が必要ですが、社員に不利益を与える変更ではないため、合理的な説明を行えば通常は大きな問題になりません。
禁止行為にSNS・口コミサイトを明示する
「第三者への漏洩を禁ずる」という表現だけでは、SNS投稿が含まれるかどうかが不明確になる場合があります。「SNS・ブログ・口コミサイト・その他インターネット上の媒体への投稿を含む」と具体的に列挙してください。口コミサイトについては、Glassdoor・OpenWorkのように実名投稿でなくても職場が特定されやすいサービスが増えているため、「匿名投稿を含む」と補足するとさらに明確になります。
懲戒規定と連動させる
秘密保持違反を懲戒事由として明記し、違反の程度に応じた処分(戒告・減給・出勤停止・懲戒解雇)を段階的に定めます。これは労働基準法第89条に基づく就業規則の必要的記載事項です。特に「SNSへの評価情報投稿」が懲戒対象であることを明示しておくと、発覚時の指導・処分が格段にスムーズになります。
入社時・面談時・退職時の同意書・誓約書に何を書くか
就業規則の整備と並行して、社員と直接取り交わす書類にも評価情報の秘密保持を明記することで、「知らなかった」という言い訳を防ぐことができます。タイミングごとに押さえるべき文言を整理します。
入社時の秘密保持誓約書
入社時の誓約書は、雇用関係が始まる最初の接点であり、周知の観点でも最も重要な書類です。対象情報として「人事評価情報(評価結果・評価コメント・評価面談の内容を含む)」を明記し、「在職中および退職後を問わず、SNS・口コミサイト・その他のインターネット上の媒体に投稿・開示しないこと」という文言を入れてください。署名・日付を取得し、原本は会社が保管します。社員にはコピーを渡すと、後から「内容を確認していない」と言われるリスクを減らせます。
評価面談時の一言添え
評価面談の結果通知書や面談シートに「本内容は社外秘情報です。SNS・口コミサイトへの投稿・第三者への開示を禁じます」という一文を加えるだけでも、啓発効果があります。署名を求めるほど正式な書類にしなくても、「毎回明示していた」という事実が後の指導の根拠になります。
退職時の秘密保持誓約書
退職後の口コミサイトへの投稿は対処が最も難しく、かつ増加傾向にあるリスクです。退職手続きの際に退職時誓約書を取り交わし、「退職後においても、在職中に知り得た人事評価情報をSNS・口コミサイト・その他の媒体に投稿・開示しないこと」を明記してください。退職金や退職証明書の交付と同時に署名を求める流れにすると、取り交わしやすくなります。なお、秘密保持義務の期間(「退職後〇年間」または「無期限」)も明記しておくと、より明確です。
複数の手段を組み合わせることが、実務的な対処のポイント。就業規則の整備だけでなく、個別の誓約書による「二重の周知」が、後からのトラブル対応を大きく変えます。
SNS投稿を発見した後の対処フロー
実際に投稿を発見した場合は、感情的に即座に動くのではなく、証拠保全・事実確認・指導という順序で対処することが重要です。就業規則の整備状況によって選べる手段が変わります。
まず証拠を保全する
投稿を発見したら、最初にスクリーンショットを撮って日時・URL・投稿内容を記録します。SNSの投稿は当事者が削除すると証拠がなくなるため、この手順を先に行うことが不可欠です。印刷して日付スタンプを押す、または証拠保全ツールを活用することも検討してください。
就業規則の整備状況で対処が変わる
就業規則に秘密保持条項・SNS禁止規定・懲戒規定がすでに整備されている場合は、事実確認の上で懲戒処分を含む指導が可能です。一方、規定が未整備または曖昧な場合は、この段階では「業務命令」として投稿の削除を求めることと、併行して就業規則の整備を進めることが現実的な対応になります。未整備の状態で懲戒処分を行うと、処分自体が無効と判断されるリスクがあります。
退職者の投稿への対処
退職後の投稿については、退職時誓約書がある場合は秘密保持義務違反として損害賠償請求の根拠になり得ます。誓約書がない場合でも、投稿内容に他の社員の個人情報が含まれる場合は不法行為(民法第709条)を根拠にした対処が考えられます。ただし、口コミサイトへの一般的な感想投稿は表現の自由の範囲内とされることも多く、法的対処の是非は弁護士への相談を経て判断することをお勧めします。
重要: 投稿内容や退職者対応について判断に迷った場合は、人事労務の専門家に早期に相談することで、その後の対応全体の質が大きく変わります。
まとめ
人事評価情報のSNS・口コミサイトへの流出リスクは、就業規則への明示・機密区分の設定・入退社時の誓約書の三点セットで制度的に対処できます。「なんとなく秘密のはず」という状態から脱し、社員に明示することが、トラブル発生時の指導・処分の根拠になります。特に専任人事がいない中小企業では、就業規則の整備が後回しになりがちですが、今の就業規則の秘密保持条項が「評価情報」「SNS・口コミサイト」を明示しているかどうか、まずそこだけ確認してみてください。
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