「退職した社員が評価シートを転職先に持っていったらしい」——そんな話を耳にしたことはありませんか。あるいは、「うちの評価結果って、社員に見せていいのか、見せてはいけないのか、実はよくわかっていない」という状態で運用を続けていませんか。人事評価の情報管理は、個人情報保護法の義務を果たす観点からも、退職者による情報持ち出しを防ぐ観点からも、中小企業でこそ整備が急がれるテーマです。この記事では、専任人事がいなくても実践できる人事評価結果の情報管理ルール作成方法を、法的な根拠とともに解説します。
人事評価情報は「個人情報」として管理が必要
人事評価情報は、個人情報保護法上の「個人情報」に該当します。「評価なんて社内の話だから関係ない」と思われがちですが、法律上の扱いは明確です。まずここを正しく理解することが、すべてのルール整備の出発点になります。
従業員数にかかわらず個人情報保護法が適用される
2005年の個人情報保護法施行当初は、取り扱う個人情報の件数が5,000件以下の事業者は適用除外とされていました。しかし現在はこの経過措置は撤廃されており、従業員5名の会社でも同法の義務を負います。「うちは小さいから関係ない」という認識は、すでに通用しません。
評価情報は「利用目的の特定・通知」が必要
個人情報保護法第17条・第21条では、個人情報の利用目的を特定し、本人に通知または公表することが義務づけられています。「採用・配置・人事考課のため」といった目的を就業規則や社内規程で明示することが求められます。逆に言えば、人事評価結果を採用・配置以外の目的——たとえば取引先への紹介や外部研修事業者への提供——に使う場合は、目的外利用として問題になりえます。
安全管理措置と第三者提供の制限
同法第23条では、個人データを取り扱う際に「安全管理措置」を講じることが義務づけられています。具体的には、アクセス権限の制限、保管場所の施錠管理、電子データの暗号化やパスワード保護などが該当します。また第27条では、本人の同意なく第三者に個人データを提供することが原則禁止されています。評価結果を取引先の人事担当者に口頭で伝えるケースも、この「第三者提供」に該当しえます。
評価結果を社員が転職活動に使うことは「禁止できる」のか
結論から言えば、就業規則や秘密保持契約(NDA)に明示することで在職中の持ち出し・外部利用を禁止することはできます。ただし退職後については、無制限の禁止は難しく、「持ち出せない環境をつくる」アプローチが現実的です。
在職中は秘密保持義務を課すことができる
労働契約には「誠実義務」が付随しており、就業規則や個別の秘密保持契約(NDA)によって、在職中の機密情報の外部持ち出しや目的外利用を禁止することができます。重要なのは、秘密保持の対象として「人事評価情報・人事考課に関する情報・評価シートの内容」を具体的に例示することです。「業務上知り得た秘密」という抽象的な表現だけでは、評価情報が含まれるかどうか争いが生じやすくなります。
退職後は合理的な範囲でしか制約できない
退職後の秘密保持義務については、憲法第22条が保障する「職業選択の自由」との兼ね合いから、無制限に課すことはできません。顧客名簿や技術ノウハウであれば不正競争防止法上の「営業秘密」(秘密管理性・有用性・非公知性の三要件)として保護されますが、人事評価情報はこの三要件を満たしにくいケースが多いです。「退職後3年間は評価結果を口外しない」といった条項は一定の抑止力にはなりますが、法的強制力には限界があります。
「禁止規定」より「持ち出せない環境」が現実的
実務的に最も効果的なのは、評価情報を物理的・システム的に持ち出しにくい状態にすることです。紙の評価シートを本人に交付しない、閲覧はシステム上のみ、印刷・スクリーンショットを制限する、といった運用と合わせて、退職時の秘密保持誓約書に評価情報を明示して署名を取得するという二段構えが基本となります。
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就業規則と別規程への落とし込み方
評価情報の取り扱いルールは、就業規則の秘密保持条項に評価情報を明示しつつ、詳細は別規程(人事情報管理規程)として整備するのが実務的に最も運用しやすい形です。
就業規則の秘密保持条項に評価情報を明記する
多くの中小企業の就業規則には「業務上知り得た秘密を漏らしてはならない」という条項があります。しかしその「秘密」が顧客情報や技術情報に限定されており、人事評価情報が明示されていないケースが散見されます。秘密情報の例示として「人事評価情報・給与情報・人事考課に関する情報」を明記することで、社員に対して評価情報が秘密保持の対象であることを明確に伝えることができます。
別規程(人事情報管理規程)で詳細ルールを定める
就業規則は変更のたびに労働基準監督署への届出が必要ですが、就業規則とは別に定める「規程」(人事情報管理規程・評価情報取扱規程)は、労使間の合意のもとで比較的柔軟に改訂できます(ただし就業規則に委任規定を置く必要があります)。別規程に定めると良い内容は次のとおりです。
- 評価情報の定義(何が「評価情報」に含まれるか)
- 閲覧・アクセス権限を持つ役職・担当者の範囲
- 紙の評価シートの保管場所・施錠管理の方法
- 電子データの管理方法(フォルダ権限・パスワード設定等)
- 評価情報の保存期間と廃棄方法
- 本人への開示手順と開示範囲
- 退職者に関する取り扱いルール
退職時の秘密保持誓約書で評価情報を明示する
退職時に署名をもらう秘密保持誓約書に、評価情報を対象として明記します。「退職後も在職中に知り得た人事評価情報・人事考課に関する情報を第三者に開示・漏洩しないこと」という文言を具体的に盛り込むことで、退職者の認識を高め、紛争時の証拠にもなります。誓約書への署名を拒否された場合でも、就業規則に規定があれば義務は存在しています。
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評価結果の開示範囲をどう設計するか
評価結果の開示範囲は、「本人に一切見せない」でも「誰でも見られる」でもなく、役割ごとに閲覧権限を設計するのが正解です。適切な開示はむしろ情報漏洩リスクを下げ、従業員の納得感を高めます。
開示範囲の基本設計
以下を参考に、自社の組織規模に合わせて設計してください。
| 対象 | 開示する内容 | 開示しない内容 |
|---|---|---|
| 本人 | 自己の評価結果・評価コメント・評価点数 | 他者の評価情報・評価者間の議論内容 |
| 直属の上司 | 担当メンバーの評価結果・評価コメント | 他部門の評価・役員報酬・給与情報 |
| 人事担当者 | 全社員の評価結果・評価データ(管理目的) | 目的外の第三者への提供 |
| 経営者・役員 | 評価結果サマリー・組織全体の評価分布 | 個別の評価コメント詳細(会社ポリシーによる) |
「本人に見せない」運用の法的リスク
個人情報保護法第33条は、本人から「保有個人データの開示請求」があった場合、事業者は原則として開示しなければならないと定めています。「見せると転職に使われる」という理由は、同法が認める開示拒否の例外事由(本人または第三者の権利利益を害するおそれがある場合等)には当たりません。開示請求に対応できない運用を続けることは、法的リスクを抱えたままにすることを意味します。
適切な開示が紛争予防にもなる
評価根拠が不透明なまま低評価を受けた社員が、「説明がなかった」「基準がわからない」として不当解雇・不当評価を主張するケースがあります。評価結果を適切にフィードバックし、評価基準を明示するプロセスを整えることは、社員の納得感を高めるだけでなく、労働紛争の予防にもつながります。「見せない」よりも「適切に見せる仕組みを作る」方が、リスク管理の観点からも合理的です。
今すぐ着手できる情報管理の整備ステップ
ルール整備は一度に完璧に仕上げる必要はありません。まず現状を把握し、優先度の高い箇所から順に手をつけることが重要です。
現状の棚卸しから始める
まず、評価情報がどこにどのような形で存在しているかを確認します。紙の評価シートは施錠された場所に保管されているか、Excelファイルはパスワードがかかっているか、誰がアクセス権を持っているか——こうした実態を把握せずにルールだけ作っても、形骸化します。「紙とデジタルが混在している」「保管場所が担当者によってバラバラ」という状態は多くの中小企業で見られます。現状把握のチェックリストを作り、まず実態を文書化することから始めましょう。
就業規則と退職時誓約書を優先的に見直す
次に取り組むべきは、就業規則の秘密保持条項への「人事評価情報」の明記と、退職時の秘密保持誓約書の見直しです。この二つはコストをかけずに対応でき、法的な根拠を整えるうえで最も即効性が高い施策です。就業規則の変更には所轄の労働基準監督署への届出と、過半数代表者への意見聴取が必要です。手続きを忘れずに進めてください。
評価情報の保管・アクセス管理を物理・電子の両面で整える
最後に、評価情報の保管方法と閲覧権限を整備します。紙の評価シートはキャビネットに施錠保管し、鍵の管理者を明確にします。Excelやスプレッドシートで管理している場合は、フォルダのアクセス権限を人事担当者・経営者に限定し、パスワードを設定します。退職者の評価データは一定期間(労働関係書類は原則3年間の保存義務があります)保管後、適切に廃棄(シュレッダー処理・電子データの完全削除)するルールも定めましょう。
就業規則や人事情報管理規程の具体的な作成に不安がある場合は、実務経験豊富な専門家に一度相談しておくと安心です
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まとめ
人事評価情報は個人情報保護法上の「個人情報」に該当し、従業員規模にかかわらず適切な管理が求められます。社員による転職活動への利用を完全に禁止することは難しいですが、就業規則の秘密保持条項への明記・別規程の整備・退職時誓約書の取得・物理的な保管管理の徹底という四つの柱を整えることで、リスクを大幅に下げることができます。また、「本人に一切見せない」運用は個人情報保護法上の開示請求対応の観点から見直しが必要で、適切なフィードバックプロセスを設計する方が法的にも組織的にも合理的です。
「どこから手をつければいいかわからない」「就業規則の条文の書き方に不安がある」という状態であれば、まず就業規則の秘密保持条項の確認と、現状の評価情報の保管場所の棚卸しから始めてみてください。ウェルセンス株式会社では、人事情報管理のルール整備、就業規則の見直し、評価情報の適切な運用設計に関するご相談に対応しています。専任人事がいない環境での実務的な対応方法について、お気軽にご相談ください。
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