「誰にも言わないでください」——部下にそう打ち明けられたとき、あなたはどう答えましたか。とっさに「わかった」と言ってしまった上司は少なくありません。でも後になって、「このまま黙っていて本当にいいのか」という不安が頭から離れない。そんな状況に直面している方に向けて、この記事では法的な整理から今日使える具体的な行動まで、順を追って解説します。
上司に「守秘義務」はあるのか
結論から言うと、管理職・上司には部下のメンタルヘルス情報を秘密にする法的義務はありません。「誰にも言わないで」という依頼は本人の希望であり、法的な拘束力はないのです。
医師・弁護士とは根本的に違う
守秘義務が法的に課されているのは、医師・弁護士・公認心理師など、資格や職務に伴って特定の情報に接する専門職です(刑法第134条、公認心理師法第41条など)。一般企業の上司・管理職はこれらの職種には該当せず、部下から打ち明けられた健康情報を「法律上、絶対に秘密にしなければならない」という義務はありません。
約束してしまっても、それは法的な契約ではない
「わかった、言わない」と口にしてしまったとしても、それは業務上の法的拘束力を持つ契約ではありません。もちろん、約束を軽んじていいわけではありませんが、「一度言ってしまったから絶対に動けない」という思い込みが、最も危険な硬直状態を生み出します。大切なのは、約束の文言よりも、その部下の状態をどう守るかという本質に立ち戻ることです。
個人情報保護法はどう関係するか
健康情報は個人情報保護法第2条第3項に定める「要配慮個人情報」に該当し、取り扱いには慎重さが求められます。ただし、これは情報を外部に不適切に漏らすことを禁じる規定です。安全配慮義務を果たすために、人事担当者や産業医など社内の必要な担当者に最小限の情報を共有することは、同法の違反にはなりません。「会社全体に広める」のではなく「必要な人に必要な範囲で伝える」という整理を押さえておきましょう。
黙っていることのリスクを正確に理解する
「約束を守ることが誠実」という気持ちは理解できます。しかし、上司が一人で抱え込んだ結果として、会社が法的責任を問われたケースは実際に存在します。黙っていることは「安全な選択」ではありません。
会社には安全配慮義務がある
労働契約法第5条は、使用者(会社)が労働者の生命・身体・健康を危険から保護するよう配慮する義務を定めています。上司はこの義務の実行を任された存在として機能しています。部下のメンタル不調を把握しながら何も対処しなかった場合、「知っていたのに措置を取らなかった」として会社が安全配慮義務違反を問われる根拠になり得ます。
最悪のシナリオは上司一人の責任になりかねない
万が一、部下が休職や退職に追い込まれたり、深刻な状況に至ったりした際、「上司は事前に相談を受けていた」という事実が判明した場合、組織として「適切な対応を怠った」と判断されるリスクがあります。上司個人も社内処分の対象になる可能性があります。「黙っていた」は誠実さではなく、結果として本人も上司も守れない選択になりかねないのです。
上司自身も「共感疲労」のリスクを負う
専門的なサポートなしに、深刻な不調を抱える部下の話を一人で聞き続けることは、上司自身の心身にも大きな負担をかけます。これをセカンダリートラウマ(二次的外傷性ストレス)と呼びます。上司が専門家やサポート体制につなぐことは、部下への「裏切り」ではなく、自分自身も含めたより良い支援への橋渡しです。
相談を受けたときの判断に迷ったら、いきなり一人で決めずに産業医や外部専門家に方針を相談することで、より適切な判断につながります。
「自殺をほのめかす発言」があった場合は即座に動く
「死にたい」「消えてしまいたい」といった発言があった場合、上司一人の判断で抱え込むことは絶対に避けてください。このケースでは、本人の「秘密にして」という意向よりも、生命の保護が優先されます。
厚生労働省ガイドラインが明示していること
厚生労働省の「職場における自殺の予防と対応」では、自殺をほのめかす言動があった場合は速やかに産業医や専門機関に相談することが明示されています。上司の独断で「大丈夫だろう」と判断し、相談窓口につなぐことをしなかった場合、組織として問われる責任は非常に重くなります。
このケースでの行動指針
まず、部下を一人にしないことが最優先です。そのうえで、産業医(選任義務がある場合)、または社外の相談機関(よりそいホットライン:0120-279-338など)につなぐことを、その日のうちに実行してください。人事担当者への報告も、翌日以降に回すのではなく、同日中に行うべきです。「後で話し合って決めよう」ではなく、「今日動く」という判断軸を持ってください。
「秘密を守りながら組織を動かす」方法はある
本人が恐れているのは「全員に噂が広まること」であって、「必要な人に最小限の情報が伝わること」ではないケースがほとんどです。本人の信頼を保ちながら組織対応を進めることは可能です。
本人と一緒に「何をどこまで伝えるか」を決める
最も有効なアプローチの一つは、本人に「あなたを守るために、人事(または私の上司)に最低限の情報だけ伝えさせてほしい。何をどこまで伝えるかは一緒に決めよう」と提案することです。これにより、本人は「情報の流れをコントロールできる」という安心感を持ちながら、組織としての支援が動き始めます。
「守秘」と「最小限の共有」は別物だと伝える
本人に対して「あなたの状況を人事に伝えることと、職場全体に噂を広めることはまったく違います」と明確に説明することが重要です。多くの場合、本人が「秘密にして」と言う背景には、「職場全体に知られたくない」「解雇されるのではないか」という恐れがあります。その恐れに丁寧に向き合うことが、信頼関係を保ちながら前に進む鍵です。
上司が一人で解決しようとしないための仕組み
社内に産業医や保健師がいる場合は、まずその専門職に相談することが最善です。専任人事がいない企業では、経営者や総務担当者への相談でも構いません。外部のEAP(従業員支援プログラム)を導入している場合は、その窓口を活用してください。上司の役割は「すべてを解決すること」ではなく、「適切な支援につなぐこと」です。
🔗 判断に迷ったら産業医や外部専門家に相談することで、より適切な対応につながります。 →
状況別・上司が取るべき対応の判断基準
すべてのケースで同じ対応をすればよいわけではありません。部下の状態と社内環境によって、動き方には違いがあります。以下の表を参考に、自社の状況に当てはめてみてください。
| 状況 | 対応の優先度 | 最初に連絡すべき先 |
|---|---|---|
| 「死にたい」などの発言がある | 最優先・即日対応 | 産業医 or 外部相談機関(その日中) |
| 明らかな業務支障・長期欠勤傾向 | 高・数日以内 | 人事担当者 or 経営者 |
| 睡眠不足・疲労感の訴えが続く | 中・今週中に確認 | 上司として面談を設定・必要に応じて人事へ |
| 「ちょっと気持ちが落ちている」程度 | 経過観察・週1回の声かけ | まず上司として継続的に関わる |
産業医・就業規則の有無で変わる対応
常時50人以上の労働者を使用する事業場は、産業医の選任が義務付けられています(労働安全衛生法第13条)。産業医がいる場合は、まずその専門職に状況を伝えることが最も適切なルートです。50人未満の中小企業で産業医が選任されていない場合は、地域産業保健センター(無料で相談可能)や、外部のメンタルヘルス支援サービスを活用することを検討してください。
就業規則にメンタルヘルス規程がある場合
就業規則や社内規程にメンタルヘルス対応の手順が定められている場合は、その手順に従うことが会社としての義務履行にもなります。まだ規程がない企業では、このような事案を機に整備することも、今後のリスク管理として重要です。
実際の判断に迷ったら:自社の規模や体制に合わせた具体的な対応方法を、外部専門家に相談しながら進めることが、ミス・遅延を防ぐ最善策です。
まとめ
「誰にも言わないで」と頼まれた上司が取るべき行動は、約束を守り続けることではありません。上司には法的な守秘義務はなく、むしろ安全配慮義務の観点から、適切な担当者への情報共有が求められます。大切なのは、情報を無闇に広めないという配慮を保ちながら、本人と一緒に「何をどこまで伝えるか」を決め、専門職や人事につなぐことです。自殺をほのめかす発言がある場合は、その日のうちに動いてください。
とはいえ、「実際に自社でどう動けばいいか」は、会社の規模・体制・社員の状況によって異なります。ウェルセンス株式会社では、専任人事がいない中小企業の経営者・人事兼務担当者からのご相談を日常的にお受けしています。不安なまま対応を先延ばしにするより、「こういう状況なんですが、どう対応すればいいですか」という段階からでも、お気軽にご連絡ください。
よくある質問
🔗 不安なまま対応を先延ばしにするより、外部専門家に方針を相談しながら進めることが最善策です。 →
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