「入社のときに誓約書にサインしてもらったけど、今は休職中。あの誓約書、まだ有効なのかな——」。ふと不安になって引き出しを開けてみると、紙が一枚入っているだけ。これで本当に大丈夫なのか、確信が持てないまま毎日が過ぎていく。専任人事がいない会社では、こうした書類管理の「なんとなく」が積み重なりがちです。休職中の社員をめぐる競業避止誓約書の効力は、実は法的にも実務的にも確認すべき点がいくつか潜んでいます。この記事では、休職中の有効性から退職時の再確認手順、証拠としての管理方法まで、経営者・兼務人事担当者が押さえておくべき論点を整理します。
休職中も競業避止誓約書の効力は続くのか
結論からお伝えします。休職中も労働契約は継続しているため、休職前に締結した競業避止誓約書の効力は原則として存続します。ただし、「明示されているかどうか」と「有効性の要件を満たすかどうか」という二つの壁を越えられなければ、いざというとき主張が通らない可能性があります。
労働契約が続く限り義務も続く
休職は「労務の提供を一時的に免除する」制度であり、雇用契約そのものを終了させるわけではありません。したがって、誠実義務や秘密保持義務といった労働契約上の付随義務は休職中も残り続けます。競業避止義務もこの付随義務の一つとして位置づけられます。「休職中だから義務はない」という主張は、法的には認められにくいと考えておくのが安全です。
「明示」がなければ争われるリスクがある
問題は、誓約書や就業規則に「休職中も競業他社への就労・転職活動を禁止する」旨が明示されているかどうかです。明示がない場合、社員から「休職中まで縛られるとは思っていなかった」と反論される余地が生まれます。特に近年は厚生労働省が副業・兼業の普及を推進しており、休職中の副業を一律禁止することが妥当かどうかは、休職理由(メンタル不調か傷病か)・健康状態・副業の内容と照らして個別に判断が求められます。就業規則に副業・競業禁止の範囲と休職中の適用について明記されているかを、今すぐ確認してみてください。
有効性を左右する六つの要素
競業避止特約は、内容が一方的すぎると民法90条(公序良俗違反)として無効と判断されるリスクがあります。東京地裁をはじめ複数の裁判例が積み重なっており、判例上は以下の要素を総合的に考慮して有効性が判断されます。
| 判断要素 | チェックポイント |
|---|---|
| 保護すべき正当な利益 | 営業秘密・顧客情報など具体的に特定されているか |
| 労働者の地位・職務 | 役員・幹部か一般職かで義務の重さが変わる |
| 地域的範囲 | 「全国」「全世界」など広すぎないか |
| 禁止期間 | 2年以内が一つの目安とされることが多い |
| 禁止行為の範囲 | 業種・職種が特定されているか曖昧でないか |
| 代償措置 | 退職金の上乗せや代償金の支払いがあるか |
これら六つのうち複数が「社員に一方的に不利」な状態であれば、誓約書を持っていても裁判では使えない可能性があります。自社の誓約書がどの要素を満たしているか、一度見直してみることをお勧めします。
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休職中に競業行為が発覚したとき、誓約書は武器になるか
有効な誓約書があれば、差し止め請求や損害賠償請求の根拠として活用できます。ただし、それを実現するには「発覚の仕組み」と「証拠の質」が不可欠です。誓約書は「あること」ではなく「使えること」が重要です。
休職中の動向把握は配慮との両立が必要
メンタル不調による休職中は「連絡を控える」という配慮が当然求められます。しかし、これが裏目に出て、社員が競業他社と接触していても情報が入ってこないという状況が生まれます。だからこそ、休職前のコミュニケーション段階で「休職中の就労・転職活動に関するルール」を書面で確認しておくことが重要です。個人情報・SNS監視のような方法は論外ですが、定期的な状況報告の頻度や連絡窓口を取り決めておくことは、労務管理として許容される範囲です。
不正競争防止法も並行して活用する
競業避止誓約書と並行して、不正競争防止法上の「営業秘密」保護も視野に入れておくと、法的手段の選択肢が広がります。営業秘密として保護されるためには、秘密管理性(「マル秘」表示やアクセス制限)・有用性・非公知性という三つの要件をすべて満たす必要があります。中小企業では秘密管理性の整備が後回しになっていることが多く、いざというときに「これは営業秘密ではない」と判断されてしまうリスクがあります。誓約書の整備と同時に、社内情報の管理体制も点検してください。
人事だけで判断できない場合は 誓約書の有効性判断や競業行為への対応方法は、会社の状況によって大きく変わります。「この対応で大丈夫か」と不安なときは、早めに専門家に相談することで、後々のトラブルを防ぎやすくなります。
「誓約書があること」と「使えること」は別の話
仮に社員が競業他社に転職したことが発覚し、損害賠償を請求しようとした場合、誓約書が証拠として機能するためには、誓約書の原本が手元にあること、いつ・誰が・どういう意図で署名したかが明確であること、そして実際に損害が生じたことを証明できることが必要になります。「ファイルに挟んであるだけ」という状態では、紛失・改ざん疑念といったリスクが残ります。
退職時に誓約書を再確認・再締結すべき理由
休職からそのまま退職になるケースでは、離職票や保険手続きに追われ、誓約書の再確認が抜け落ちがちです。しかし退職時の再締結には、休職前の誓約書だけでは補えない実務的な意義があります。
入社時の誓約書だけでは足りないケースがある
入社時に署名した誓約書は、当時の職務内容や役職を前提に作成されています。その後、昇進・担当顧客の変化・新製品の取り扱いなどがあれば、誓約書の内容と現在の実態がずれてしまいます。特に中小企業では社員の担う役割が幅広く変化しやすいため、退職時に改めて「退職後に禁止される競業行為の範囲・期間・地域」を明確にした誓約書を交わすことが、トラブル予防として効果的です。
退職時の再確認で「知っていた」という記録をつくる
退職後に競業行為が問題になったとき、社員から「そんな義務があるとは知らなかった」と主張されるケースがあります。退職時に誓約書を再確認し、社員本人が内容を理解した上でサインしたという記録が残っていれば、この反論に対抗しやすくなります。口頭での説明だけでは証拠として弱いため、書面を使うことが基本です。
「強要」にならないよう注意する
退職時の誓約書再締結で必ず守ってほしいのが、任意の確認であることを明示する点です。「サインしなければ退職手続きを進めない」といった対応は、民法96条が定める強迫(意思表示の瑕疵)に当たる可能性があり、誓約書が無効と判断されるリスクがあります。「これは入社時にご署名いただいた内容の確認です。任意でお願いしています」という形で、丁寧かつ明確に伝えることが重要です。
就業規則と誓約書の整合性を整える
誓約書と就業規則の内容が食い違っている場合、どちらが優先されるかをめぐって争いが生じることがあります。両者を整合させておくことが、運用上の土台になります。
就業規則に競業避止の規定を明記する
競業避止義務の法的根拠は、就業規則・労働契約・個別誓約書の組み合わせによって成立します。就業規則に競業禁止規定がない状態で誓約書だけを取っていても、規則との整合が取れていないと主張が弱くなります。就業規則の服務規律や退職後の義務に関する条文に、競業禁止の範囲・期間・禁止行為の内容を盛り込んでおくことが、誓約書の効力を支える土台になります。
副業・兼業ポリシーとの整合も確認する
厚生労働省が副業・兼業のガイドラインを整備する中、「副業は原則禁止」と就業規則に書きながら競業避止誓約書では別の基準を設けているケースがあります。会社の規模や産業によって副業方針は異なりますが、就業規則・誓約書・副業ポリシーの三者が矛盾しないよう整理しておくことが、社員への説明のしやすさにもつながります。
誓約書を「証拠」として管理する実務
誓約書は「存在すること」だけでなく、「いつでも取り出せて、改ざんを疑われない状態であること」が証拠としての価値を決めます。管理の不備が、いざというときに致命的な弱点になります。
原本管理と電子バックアップを組み合わせる
紙の原本は保管場所と保管責任者を明確にし、台帳に記録しておくことが基本です。それと並行して、スキャンデータを電子保存する際はタイムスタンプ付きのファイルとして保管することで、原本と電子データの同一性を担保しやすくなります。クラウドストレージを活用する場合は、アクセス権限を限定して第三者による改ざんリスクを下げましょう。
「いつ・誰に・なぜ」の記録を残す
誓約書を取り交わした日付・担当者・目的(入社時/職務変更時/退職時)を別途記録しておくと、後になって「この誓約書がどういう経緯で作られたか」を説明しやすくなります。社員ごとのファイルに「誓約書取得記録」として一枚添付しておくだけで、証拠としての説得力が大きく変わります。
まとめ
休職前に締結した競業避止誓約書は、原則として休職中も有効です。ただし、就業規則や誓約書への明示が不十分な場合・有効性の六要素が偏っている場合・証拠としての管理が不十分な場合は、いざというとき機能しない可能性があります。また、休職からそのまま退職になるケースでは、退職時の誓約書再確認と任意の署名取得が、後々のトラブル予防として重要な一手になります。就業規則・誓約書・副業ポリシーの三者の整合性を整え、電子バックアップを含めた証拠管理を実践することが、専任人事がいない会社でも取り組める現実的な対策です。
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