「評価結果を社員に見せなければいけない法律なんてあるの?」——採用・評価・労務を一人でこなす経営者や兼務担当者から、こんな声をよく耳にします。結論から言えば、評価結果の開示を直接義務付けた法律は現時点では存在しません。しかし「義務がないから伝えなくていい」と判断してしまうと、降格・解雇をめぐる法的紛争や、ハラスメント認定、社員の信頼喪失など、思わぬトラブルに巻き込まれるリスクがあります。この記事では、法的根拠・実務上のリスク・現場で使える伝え方まで、順を追って整理します。
人事評価結果の開示に法的義務はあるか
直接的な開示義務を定めた法律は存在しませんが、「開示しなくてよい」とは言い切れません。間接的な義務・リスクが複数の法令にまたがって発生するためです。
現行法に「開示義務」の直接規定はない
労働基準法・労働契約法・個人情報保護法のいずれにも、人事評価結果を本人に開示しなければならないと定めた条文はありません。したがって「評価シートをそのまま渡さないこと」自体は、直ちに違法とはなりません。ここまでは多くの経営者が把握している部分です。
「義務はない」が「何もしなくていい」ではない理由
問題は、評価結果を根拠に降格・降給・解雇などの人事処分を行う場面です。労働契約法第16条(解雇権濫用法理)や同法第10条(就業規則の不利益変更法理)のもとでは、処分の合理性・相当性が問われます。「評価が低かったから」という説明が裁判所に通るためには、評価の基準・プロセス・フィードバックの記録がセットで必要になります。評価結果を一切本人に伝えないまま不利益処分を下した場合、「改善機会を与えなかった」として使用者側が不利な判断を受けるケースが実務では少なくありません。
個人情報保護法上の開示請求に注意
人事評価記録は「保有個人データ」に該当しうるため、本人から個人情報保護法第33条に基づく開示請求を受けた場合、原則として開示に応じる義務が生じます。同法の対象は従業員数ではなく取り扱うデータ量等で判定されますが、小規模事業者であっても自主的な対応が強く推奨されています。ただし、他の社員との比較情報や評価者の氏名など「第三者の権利利益を害するおそれがある情報」については、同法第33条第2項各号に基づいて不開示にできます。「全部見せる必要はないが、本人にかかる情報は基本的に開示する」という考え方が実務の出発点です。
開示しないことで起きる具体的なトラブル
評価結果を伝えないまま放置すると、社員の不満が蓄積し、気づいたときには複数のリスクが重なった状態になります。どのようなトラブルが実際に起きるのか、場面別に整理します。
「不当評価」「嫌がらせ」として問題化するケース
評価結果を伝えないまま昇給を止めたり、突然降格を命じたりすると、社員は「なぜ自分だけ?」という疑念を持ちます。理由が見えないほど、社員は最悪の仮定——「人間関係が原因」「差別的な扱い」——に至りやすくなります。この状態が続くと、社内の相談窓口への申告や外部機関(労働局・社会保険労務士・弁護士)への相談につながり、「不当な人事権行使」として争われるリスクが生じます。
解雇・雇い止めの無効を争われるリスク
特に問題になりやすいのが、「低評価を理由にした解雇・雇い止め」の場面です。裁判所は解雇の有効性を判断する際、評価の客観的な基準が存在したか、評価結果を本人に伝えて改善機会を与えたか、その記録があるか——という点を重視します。「評価した」「面談した」という事実を証明できなければ、使用者側が著しく不利な立場に置かれます。就業規則に評価規定が記載されている場合はなおさら、その規定に沿ったプロセスを踏んでいなければ、処分全体の合理性が疑われます。
優秀な社員の離職・エンゲージメント低下
法的リスクだけがトラブルではありません。評価結果が不透明な職場では、頑張りが正当に評価されているかどうかわからず、優秀な社員ほど「ここでは報われない」と判断して離職します。とりわけ20〜50名規模の企業では、一人の離職が業務全体に与えるダメージが大企業より大きく、採用コストも含めた損失は無視できません。
評価フィードバックとハラスメントの接点
評価結果を「伝える場面」もリスクを含みます。伝え方・場所・言葉の選び方によっては、パワハラと認定される可能性があります。2022年4月からは中小企業にもパワハラ防止法(労働施策総合推進法第30条の2)の措置義務が適用されており、他人事ではありません。
ハラスメントになりやすいフィードバックの特徴
評価フィードバックがパワハラと認定されやすいパターンとして、次のものが挙げられます。
- 複数の社員がいる場所で低評価を読み上げる・叱責する
- 「こんな評価では会社にいる資格がない」など人格を否定する言動を加える
- 改善策を一切示さず、低評価の事実だけを繰り返し伝える
- 感情的な言動とともに評価結果を突きつける
フィードバックの「内容」ではなく「方法・場・言い方」が問題とされることが多い点に注意が必要です。
「伝えないこと」もハラスメントになりうる
逆のパターンも見逃せません。理由を一切説明せずに昇給を止める、評価会議の結果を本人に知らせないまま異動を命じるといった対応は、「意図的な排除・嫌がらせ」と受け取られる場合があります。特定の社員だけ評価結果を伝えない、あるいは意図的に曖昧にするという運用は、職場環境の悪化を招き、ハラスメントの温床になりえます。
評価者(上司)への研修と記録の重要性
フィードバックを行う管理職・上司自身が、適切な伝え方を理解していないと、会社全体がリスクにさらされます。「どんな言葉で」「どんな場所で」「何を目的に」伝えるかを事前に整理し、面談記録を残しておくことが、万一のトラブル発生時の会社側の防衛線になります。
どこまで・どう伝えればよいか——実務基準の考え方
開示の義務と範囲が法律で明確に定まっていない以上、会社側でルールを設計する必要があります。「全部見せる」でも「何も伝えない」でもなく、目的に応じた開示範囲と伝え方を決めておくことが実務の要点です。
開示すべき情報・慎重に扱うべき情報の整理
| 情報の種類 | 開示の考え方 |
|---|---|
| 本人の評価結果(総合評価・項目別評価) | 原則として本人に伝えることが望ましい |
| 評価基準・評価項目の説明 | 就業規則や評価規程に記載がある場合は開示義務に近い扱い |
| 評価者のコメント・具体的なエピソード | 伝える内容・言葉を整理したうえで共有する(記録も残す) |
| 他の社員との相対比較・ランキング情報 | 原則非開示(個人情報保護法上も第三者の権利利益を害するおそれあり) |
| 評価者(上司)の氏名 | 社内で周知されている場合を除き、慎重に判断する |
フィードバック面談で押さえる実務ポイント
フィードバックの場を設ける際は、まず個室または個別のオンライン環境で実施することを基本とします。次に、評価の結果だけでなく「なぜその評価になったか」の根拠を具体的な行動・成果に紐づけて説明します。そして、改善すべき点がある場合は次期の目標・サポート内容もセットで示します。面談の日時・主な内容・社員の反応をメモとして残しておくことが、後々のトラブル予防になります。
評価制度が整っていない場合の優先順位
「評価基準がそもそも明文化されていないため、開示できる状態にない」という企業も少なくありません。その場合、まず評価基準と評価プロセスを文書化することが先決です。基準のない評価を本人に伝えても納得を得られないどころか、「恣意的な評価だ」という反発を招くリスクがあります。従業員数が少ない段階だからこそ、シンプルな評価項目から始めて記録を積み上げる習慣をつけることが、将来的な法的リスクの抑制にもつながります。
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企業規模・状況別のリスク判断ポイント
同じ「評価結果を開示していない」でも、企業の状況によってリスクの種類と大きさは異なります。自社の状況に照らして判断してください。
従業員数・就業規則の有無による違い
常時10人以上の労働者を使用する事業場は、就業規則の作成・届出が労働基準法第89条により義務付けられています。就業規則に評価規定が盛り込まれている場合、その規定に沿った運用をしていないと、社員から「規則違反」として主張される根拠を与えてしまいます。一方、就業規則がない・評価規定が明記されていない場合は、現時点での法的義務は相対的に小さいものの、不利益処分を行う際の説明根拠がゼロになるという別のリスクを抱えます。
降格・解雇・雇い止めを検討している場合
評価結果を根拠に不利益処分を行う予定がある場合は、処分の前に必ず評価結果と根拠を本人に伝え、改善機会を設けた記録を残してください。このプロセスなしに処分を行うと、労働審判・訴訟に発展した際に会社側が不利になる可能性が高くなります。特に有期雇用契約の雇い止めは、労働契約法第19条(雇い止め法理)の適用があり、評価プロセスの透明性が一層重要になります。
社員から「評価を教えてほしい」と言われた場合の対応
社員から評価結果の説明を求められた場合、「伝える義務はない」と突っぱねることは得策ではありません。少なくとも「評価の根拠となった行動・成果の事実」と「改善のための期待事項」を口頭でも説明できる状態を整えておくことが、信頼関係の維持と法的リスクの双方に有効です。説明できない評価は、法的にも組織運営上も「根拠のない評価」と同義に近いと考えてください。
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まとめ
人事評価結果の開示を直接義務付けた法律は現行法に存在しません。しかし、評価結果を伝えないまま降格・解雇などの不利益処分を行えば、労働契約法の解雇権濫用法理や個人情報保護法上の開示請求権を通じて法的紛争に発展するリスクがあります。また、評価フィードバックの方法によってはパワハラと認定される可能性もあり、逆に「評価を一切伝えない」ことが嫌がらせとして問題化するケースもあります。実務上は、本人の評価結果と根拠を適切な場で伝え、面談記録を残すことが、トラブル予防の基本となります。評価制度が整っていない場合は、まず評価基準の文書化から着手することが優先です。
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