「うちの給与、なんとなく決めてきたけど、このままでいいのかな…」。採用候補者から「給与の基準はどう決まるんですか?」と聞かれて言葉に詰まった経験はありませんか。スタートアップや中小企業では、創業期に個別交渉で決めた給与がそのまま残り、気づけば「交渉上手な人が高給」という状況になりがちです。この記事では、給与テーブルが本当に必要な理由と、リソースが限られた会社でも実践できる作り方をわかりやすく解説します。
給与テーブルとは何か、なぜスタートアップに必要なのか
給与テーブルの基本構造
給与テーブルとは、職種や役割・スキルレベルごとに「このグレード(等級)の人には、最低○万円〜最高○万円を支払う」という範囲(レンジ)を定めた一覧表のことです。各グレードには最低額(Min)・中央値(Mid)・最高額(Max)の3点が設定され、この幅のことを「給与バンド」と呼びます。たとえば「一般職グレードのバンドは月給25万〜35万円、中央値は30万円」というイメージです。
「なんとなく給与」が引き起こす3つのリスク
給与テーブルがない状態が続くと、現場では3つの問題が起きやすくなります。まず、同じ仕事をしているのに給与に大きな差が生まれ、社員間の不公平感が高まります。次に、採用面接で「給与の基準はどう決まりますか?」という質問に答えられず、候補者の辞退につながります。さらに、毎年の昇給が経営者の感覚頼みになるため、人件費が気づかないうちに膨らみ、経営を圧迫するリスクがあります。実際に、創業5年前後のスタートアップで「同じ職種なのに給与差が月10万円以上ある」というケースは珍しくありません。
法的な整備義務も見逃せない
常時10人以上の労働者を使用する場合、賃金の決定・計算・支払方法などを就業規則に明記し、労働基準監督署に届け出る義務があります(労働基準法第89条)。また2024年4月の法改正により、労働契約の締結・変更時に賃金の決定方法を書面で明示する義務がさらに強化されました。給与テーブルを整備しておくことは、こうした法的リスクへの対応という意味でも重要です。
給与テーブルを作る前に決めておくこと
グレード設計を先に行う
給与テーブルを作る際に多くの会社が陥りがちな失敗は、「まずいくら払うか」から考えてしまうことです。正しい順序は逆で、まず「どんな仕事・役割・スキルレベルをグレードとして定義するか」を決めることが先決です。たとえば「ジュニア(入社1〜2年目)」「ミドル(独立して業務を遂行できる)」「シニア(チームを牽引できる)」「マネージャー(組織成果に責任を持つ)」という4段階のグレードを設定するのが、スタートアップではシンプルで扱いやすい構造です。
職種ごとの市場相場を調べる
グレードが決まったら、次に市場データを参照します。給与バンドの中央値(Mid)は「市場の50パーセンタイル(中央値)」に合わせるのが基本戦略です。採用競争力を高めたいスタートアップでは、市場の60〜75パーセンタイルを狙うケースもあります。参照できる無料データソースとしては、doda「サラリーチェッカー」、OpenWork(旧Vorkers)、リクルートワークス研究所の調査データなどがあります。ただし、これらのデータは職種・経験年数・地域によって大きく差があるため、複数のソースを組み合わせて判断することが重要です。
雇用形態間の整合性も確認する
給与テーブルを正社員だけに適用する場合でも、パートタイム・有期雇用労働者との不合理な待遇差は法律で禁止されています(パートタイム・有期雇用労働法第8条・9条、いわゆる「同一労働同一賃金」)。制度を作る段階で、アルバイトや契約社員の処遇との整合性についても確認しておくと、後々のトラブルを防げます。
給与バンドの具体的な設計方法
バンドの幅(Min〜Max)をどう設定するか
各グレードのバンド幅は、グレードが上がるほど広く設定するのが一般的です。これは、上位グレードほど個人の裁量や成果の差が大きくなるためです。目安として、ジュニアグレードのバンド幅は中央値の前後15〜20%程度、シニア以上は前後25〜30%程度から設計を始めると現実的です。具体例で示すと、ミドルグレードの中央値が月給35万円の場合、Min28万円〜Max42万円(幅±20%)という設定になります。
グレード間の中央値の差(Mid-to-Midスプレッド)
各グレードの中央値同士の差のことを「Mid-to-Midスプレッド」と呼びます。一般的な目安は10〜20%です。たとえばジュニアのMidが月30万円なら、ミドルのMidは33〜36万円という設計です。スプレッドが小さすぎると「昇格しても給与がほとんど変わらない」と感じさせてしまい、モチベーション低下につながります。逆に大きすぎると、人件費の急騰を招くリスクがあります。
コンパレシオで既存社員の位置を確認する
給与バンドを設定したら、既存社員の給与がバンドのどこに位置するかを「コンパレシオ(Compa-ratio)」という指標で確認します。計算式は「現在の給与 ÷ バンドMid × 100」です。80〜120%が適正範囲とされており、80%未満は「給与が低すぎて離職リスクがある」サイン、120%超は「レッドサークル」と呼ばれ、是正を検討すべき状態です。既存社員をバンドに当てはめてみると、調整が必要な人が明確になります。
給与情報をどこまで社員に開示するか
開示レベルには3段階ある
給与の透明化といっても、一気に全員の給与を公開する必要はありません。実務上は3段階で設計できます。まず「フルオープン」は全グレードの全バンドを社内全員に公開する方法で、米国のBufferなどが採用していますが、日本の中小企業では導入ハードルが高いケースがほとんどです。次に「グレードバンドの開示」は、個人の給与は非公開のまま、グレードごとの給与レンジだけを社員に示す方法です。最後に「制度の説明のみ開示」は、バンドの数値は伏せつつ、昇給・昇格の仕組みや評価との連動を説明する方法です。
スタートアップにおすすめの開示スタンス
専任人事のいない20〜50名規模のスタートアップには、「グレードバンドの開示」が現実的な出発点です。具体的には、「あなたはミドルグレードに位置しており、このグレードの給与レンジは月給28万〜42万円です。現在あなたの給与はレンジのどのあたりにあります」という形で個人面談時に伝える方法が社員の納得感を高めやすく、不満の噴出リスクも抑えられます。「開示すると不満が増える」という不安を持つ経営者は多いですが、むしろ基準が見えないことで生まれる「噂話」「不信感」の方が組織に深刻なダメージを与えるケースが多いです。
同一労働同一賃金との関係
近年、賃金の透明化に関する議論が活発化しています。日本では現時点で「賃金情報の全面開示」を義務付ける法律はありませんが、合理的な基準のない賃金格差は法的リスクに直結します。給与テーブルとその根拠を整備しておくことは、万一の労使トラブル時に「恣意的な差別ではなく、合理的な基準に基づいた差異である」と説明できる防御線にもなります。
昇給基準を給与テーブルと連動させる
評価と昇給を切り離さない仕組みを作る
給与テーブルを作っても、「評価結果がどう昇給に反映されるか」のルールがなければ、毎年の昇給は再び感覚頼みに戻ってしまいます。基本的な考え方は「コンパレシオが低い社員ほど昇給率を高くし、バンド内の適正位置に近づける」というものです。たとえば「評価A(最高評価)でコンパレシオ80%以下の社員は昇給率7%、コンパレシオ100〜110%の社員は昇給率3%」というマトリクスを設けることで、昇給判断が属人化しなくなります。
昇格と昇給は分けて設計する
「昇格(グレードアップ)」と「昇給(同グレード内での給与引き上げ)」は別の概念として設計することが重要です。昇格は役割・スキルの変化を認定するものであり、昇給はバンド内でのパフォーマンスを評価するものです。この2つを混同すると、「昇格しないと給与が上がらない」という硬直した制度になり、昇格ポストが限られる成長途上のスタートアップでは社員の不満を高める原因になります。バンド内昇給のルールを整備しておくことで、昇格がなくても「頑張りが報われる感覚」を作れます。
最低賃金との整合性チェックも忘れずに
給与レンジのMinを設定する際は、都道府県ごとの最低賃金を必ず確認してください(最低賃金法第4条)。月給制の場合、時間外労働や深夜割増を含めた実質的な時給換算で最低賃金を下回っていないかをチェックする必要があります。特に固定残業代(みなし残業)を含む給与設計をしている場合は、計算を丁寧に行うことが求められます。
リソースが限られた会社でも始めやすい実践ステップ
完璧を目指さず「80点の制度」から始める
「制度を作っても陳腐化する」「使われない制度になる」という不安から、着手できないままになっている会社は少なくありません。しかし、完璧な制度を目指して動けないより、「今の自社規模・フェーズに合った80点の制度」を早く作ることの方がはるかに重要です。まず現在の社員一覧と給与を整理し、グレードを仮置きして現状のコンパレシオを確認するだけでも、課題の全体像が見えてきます。最初から就業規則の改定まで一気にやろうとせず、「グレード定義 → バンド設計 → 既存社員の当てはめ確認」という順序で段階的に進めることをおすすめします。
社労士とコンサルの役割分担を理解する
給与制度の整備を外部に相談しようとしたとき、「社労士は手続き中心でコンサルっぽいことはしてくれない」「コンサルは高い」というイメージを持つ方も多いです。実際には、社労士でも給与制度・人事制度の設計を得意とする専門家はいますし、中小企業向けの人事・労務コンサルティングサービスも増えています。相談先を選ぶ際は「手続き代行が中心か」「制度設計・組織コンサルもできるか」を確認することがポイントです。
制度を作った後の運用設計も最初に考える
給与テーブルを作っただけでは機能しません。「いつ・誰が・どのプロセスで昇給を判断するか」「制度を社員にいつどう説明するか」「何年ごとに見直すか」という運用設計まで最初に決めておくことが、制度を形骸化させないためのカギです。特に20〜50名規模の会社では、年1回の評価面談と給与改定のタイミングを連動させたシンプルな運用が定着しやすく、経営者・マネージャーの負担も最小化できます。
まとめ
スタートアップや中小企業にとって、給与テーブルは「大企業がやること」ではありません。「なんとなく決めた給与」が採用・定着・経営の足かせになる前に、グレード設計 → 市場データ参照 → バンド設定 → 昇給ルールの連動という流れで、自社の実態に合った制度を整えることが重要です。また、給与情報の開示は「リスク」ではなく、社員の信頼を高める「経営のコミュニケーションツール」として機能します。
「何から手をつければいいかわからない」「リソースがなくて進められない」という段階でも、専門家に相談することで想像以上にスムーズに動き出せるケースがほとんどです。ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない成長企業の経営者・人事担当者の方が抱える給与制度・人事労務の課題について、実務に即した形でご相談をお受けしています。「まず現状を整理したい」という段階でもお気軽にご連絡ください。
よくある質問
社会保険労務士・産業カウンセラーと連携し、中小・成長企業の人事課題に向き合う実務ノウハウをお届けします。

