「上司が原因でメンタルを壊しています。でも絶対に上司には言わないでください」——相談を受けた瞬間、あなたはどう動きますか。
本人の気持ちを守りたい。でも何もしなければ状態が悪化するかもしれない。そして会社には安全配慮義務がある。この三つが同時にのしかかる状況は、専任人事のいない中小企業ほど判断が難しく、一人で抱え込みがちです。
この記事では、相談者の秘密を守りながら組織として動くための実務的な5つのステップを、法的根拠とともに解説します。「動き方がわかない」を「これで動ける」に変えることを目指しています。
「秘密にして」は免責にならない——まず押さえるべき前提
本人に「上司には言わないでほしい」と言われても、それだけで会社が対応を止めてよいわけではありません。相談を受けた時点で会社は状況を把握しており、そこから無策でいれば安全配慮義務違反のリスクが生じます。
安全配慮義務とは何か
労働契約法第5条は、使用者(会社)が労働者の生命・身体・健康を害さないよう配慮する義務を定めています。これは「相談を受けた時点」から発動します。本人が「大丈夫です」「何もしないでください」と言ったとしても、それは義務の免除にはなりません。
実務的に言えば、相談を受けたあと何もしないまま本人が休職・退職・体調悪化に至った場合、「本人が拒否した」という事実は、会社側の不作為を完全に正当化する理由にはならないのです。
個人情報保護との両立
一方で、本人の健康情報は個人情報保護法第2条第3項に定める「要配慮個人情報」に該当します。取り扱いには本人同意と目的の明確化が必要です。
つまり会社は「動かなければいけない(安全配慮義務)」かつ「むやみに情報を広げてはいけない(個人情報保護)」という二つの要請のあいだで動くことが求められます。この前提を理解していれば、以降のステップの意味が腑に落ちます。
パワーハラスメント防止対策の義務化
2022年4月から中小企業にも義務化された労働施策総合推進法に基づくパワーハラスメント防止措置では、「相談窓口の設置」「相談者のプライバシー保護」「不利益取扱いの禁止」が事業主に求められています。相談を受けた担当者がどう動くかは、この指針の対象でもあります。
最初の相談対応——聴き方と合意の取り方
相談を受けた最初の場面での対応が、その後の信頼関係と動きやすさを大きく左右します。ここで「聴く」と「合意を得る」の両方を丁寧に行うことが、秘密保持と組織対応を両立させる土台になります。
まず「聴く」に徹する
相談を受けたその場では、解決策を提示しようとするより、まず話を聴き切ることが重要です。「どんなことが続いていますか」「いつ頃から気になっていましたか」のように、本人が言葉にしやすい問いを使います。
この段階では、事実確認よりも「この人は話してよかった」という感覚を本人が持てるかどうかが優先事項です。最初の対応で本人が「やっぱり話さなければよかった」と感じると、その後の協力が得られにくくなります。
「共有の可能性」を正直に伝える
聴き終えたあと、次のように伝えることを推奨します。「あなたの話を守りたいと思っています。ただし、会社としてあなたを守るために、社長(または人事責任者)には相談内容を共有する可能性があります。その場合は事前にお伝えします」
この一言が重要です。完全な秘密を約束してしまうと、後で組織として動く際に本人の信頼を裏切ることになりかねません。「誰に・何を・なぜ共有するか」を限定した上で事前合意を得るプロセスが、法的にも実務的にも最も適切な対応です。
記録はその日のうちに
相談内容は、当日中に書面または社内システムに記録します。手書きのメモのみの管理は避けてください。担当者が変わったときに記録が消える「引き継ぎ断絶リスク」が生じるためです。記録すべき項目は、相談日時・相談者の発言内容(要約)・相談を受けた担当者名・次のアクションの予定です。保管場所は上司の目に触れない場所(社長直轄フォルダ、または施錠管理された専用ファイル)に限定します。
上司をスキップして動く設計——ルートをどう作るか
専任人事がなく、相談窓口も評価ラインも上司と重なっている環境では、「誰を通じて動くか」の設計が最初の壁になります。上司を介さず動けるルートは、意識的に作るしかありません。
誰が「動ける人」になるかを決める
まず、上司より上位の立場で動ける人を一人特定します。多くの場合、社長・取締役・創業メンバーのいずれかです。この人を「緊急時の情報共有先」として明確にしておくだけで、動きやすさが変わります。
「そんな仕組みはうちにはない」という場合でも、今回の案件をきっかけに「社長直轄の相談ルート」を一時的に設ける対応は現実的です。正式な規程がなくても、「この件は社長と担当者の二人で扱う」という取り決めを書面で残しておけば、実務上は機能します。
外部リソースを活用する
社内だけで解決しようとしないことも重要です。産業医が選任されている場合(従業員50人以上で義務)は、産業医への相談という形で上司をスキップした対応が制度的に可能です。50人未満の場合でも、地域の産業保健総合支援センター(都道府県に設置)では無料の相談が受けられます。
また、外部のEAP(従業員支援プログラム)や人事労務の専門家に相談窓口を委託することで、「社内の誰とも利害関係がない第三者」が対応できる仕組みを作ることができます。
就業規則・ハラスメント規程の確認
就業規則にハラスメントの相談窓口や調査手続きが定められている場合、その規程に沿って動くことで、「なぜ上司をスキップしたか」の説明根拠が生まれます。規程がない場合は、今後のためにも最低限の相談対応フローを文書化しておくことを強く推奨します。
相談対応が一人で進まない場合は、判断に自信がない段階で外部の人事労務専門家に相談することが、本人にとっても会社にとっても時間の節約になります。
上司サイドへの間接的なアプローチ
本人の希望を守りながら、上司の行動を変えるためには、直接的な指摘ではなく間接的なアプローチが有効です。「誰かから相談があった」と匂わせずに動ける手法がいくつかあります。
「全体施策」として落とし込む
たとえば、「最近チーム全体の残業が増えているので、マネジメントスタイルを見直してほしい」という形で、特定の相談者を連想させずに上司に働きかけることができます。個人を特定した指摘ではないため、本人の秘密を守りながら上司の行動変容を促せます。
1on1ミーティングの導入、マネジメント研修の案内、コミュニケーション指針の共有なども、同様の文脈で使えるアプローチです。
上司への直接介入が必要になるタイミング
間接的なアプローチだけでは不十分な状況もあります。本人の状態が急速に悪化している、具体的なハラスメント行為(暴言・威圧・業務の過剰付与など)が継続しているといった場合は、上司への直接的な聴き取りが必要です。
その際は、「誰かの相談があった」ではなく「業務上の観点から確認したい」というフレームで行うのが原則です。ただし、調査が進んだ段階では本人に「上司への聴き取りを行う可能性がある」ことを事前に伝え、了解を得てから動くことが重要です。
途中でバレた・状況が変わった場合のリカバリー
最悪のシナリオとして、上司が相談の存在を察知した・本人が「やっぱり大丈夫」と撤回してきた、というケースへの備えも必要です。起こりうる事態に対して判断軸を持っておくことで、場当たり的な対応を防げます。
上司に相談が露見した場合
上司が「誰かが自分のことを相談したのではないか」と察した場合、まず確認すべきは本人の安全です。上司が本人に圧力をかけたり、不利益な扱いをするリスクがある場合は、速やかに本人と連絡を取り、状況を確認します。
その後、会社として「相談者のプライバシーは守られる」「報復は許容しない」というメッセージを上司に明示します。これはパワーハラスメント防止に関する事業主措置指針でも求められている対応です。記録を残した上で、社長・経営者が直接関与することが望ましいです。
本人が「撤回したい」と言った場合
メンタル不調の状態では、本人の発言が揺れることがあります。「やっぱり大丈夫です」「相談したことを忘れてください」という発言が出たとしても、それがそのまま「問題の解消」を意味するわけではありません。
この場合の判断軸は、「本人の意向の尊重」と「状態の継続把握」の両立です。「わかりました、無理に進めません。ただ、定期的に少し話す機会だけ作らせてください」という形で、月に一度程度の短い面談を継続することが現実的な対応です。相談を受けた記録は消さず、保持し続けます。
対応状況の整理表
| 状況 | 優先アクション | 記録の扱い |
|---|---|---|
| 本人が相談を継続している | 定期面談・状態確認・就業上の配慮 | 都度記録・共有先を限定 |
| 本人が撤回を申し出た | 意向を尊重しつつ継続観察の合意を得る | 記録は保持。新たな共有は行わない |
| 上司に露見した疑いがある | 本人の安全確認・上司への牽制 | 経緯を詳細に記録・経営者が関与 |
| 本人の状態が急激に悪化 | 産業医・外部専門家への相談を急ぐ | 医療関係者との情報共有範囲を確認 |
動き方の全体フロー
ここまでの内容を踏まえ、実務対応の流れを整理します。複雑に見える対応も、順番に当てはめることで判断しやすくなります。
- 相談を受ける:話を聴き切る。解決策はその場で提示しない。
- 合意を取る:「あなたを守るために一部共有する可能性がある」ことを正直に伝え、了解を得る。
- 記録する:当日中に文書化。保管場所は上司の目に触れない場所に限定。
- 組織として動く:上司をスキップできるルート(社長直轄・外部専門家)を使い、間接的なアプローチから開始する。
- 継続して観察する:本人が「大丈夫」と言った後も、定期面談で状態を把握し続ける。
🔗 判断に自信がない段階で外部の人事労務専門家に相談することが、本人にとっても会社にも時間の節約になります。 →
会社の状況別チェックポイント
会社の規模や体制によって、使えるリソースが変わります。自社の状況に当てはめて確認してください。
- 従業員50人以上:産業医が選任義務の対象。上司をスキップした相談先として産業医を活用できる。
- 従業員50人未満:産業保健総合支援センターへの相談(無料)や、外部EAP・人事労務の専門家への委託が現実的な選択肢。
- 就業規則・ハラスメント規程あり:規程に沿った手続きで動くことで対応の正当性が高まる。
- 就業規則・ハラスメント規程なし:今回の件を機に最低限の相談対応フローを文書化することを推奨。
まとめ
「上司が原因」というメンタル不調の相談は、秘密保持と安全配慮義務が正面からぶつかる、人事対応の中でも特に難易度の高い場面です。しかし、「本人に正直に伝えて合意を得る」「情報共有の範囲を最小化する」「記録を適切に管理する」「上司をスキップできるルートを設計する」という順番に動くことで、どちらも守りながら対応することは可能です。
「こういうケースが来たらどうしよう」と事前に考えておくだけで、実際に相談が来たときの判断スピードが大きく変わります。ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・兼務担当者の方からの「こういうケースはどう動けばいいか」というご相談を日常的にお受けしています。人事だけで抱え込まず、必要に応じて外部の視点を活用することが、本人にも会社にも良い結果をもたらします。
よくある質問
🔗 人事だけで抱え込まず、必要に応じて外部の視点を活用することが、本人にも会社にも良い結果をもたらします。 →
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