「うちは社長が毎回決めてるけど、誰かに訴えられたりしないのかな……」。採用が増えてきた会社で、こうした不安がじわじわと大きくなっているとしたら、それは決して杞憂ではありません。感覚で決めてきた賞与は、会社の規模が小さいうちは問題になりにくいですが、従業員数が増えるにつれてトラブルの温床になりやすいものです。この記事では、法的にどこが問題になり得るのか、社員に何か言われたときにどう対応するのか、そして人事専任がいなくてもできる最低限の整備とは何かを整理します。
賞与を「感覚で決める」ことは、法的にアウトになるのか
結論から言えば、「感覚で決めること」自体が即違法になるわけではありません。ただし、就業規則や雇用契約の書き方によっては、会社が思っている以上に重い法的義務を負っていることがあります。
賞与の法的性質は「書き方」で決まる
賞与は大きく2種類に分かれます。「恩恵的給付」として支給する場合と、「労働条件」として約束されている場合です。この違いは、就業規則や雇用契約書の記載内容によって決まります。
| 性質 | 就業規則・契約書の記載例 | 法的な効果 |
|---|---|---|
| 恩恵的給付 | 「業績・状況に応じて支給することがある」 | 支給しなくても原則として違法ではない |
| 労働条件としての賞与 | 「毎年6月・12月に基本給の〇ヶ月分を支給する」 | 支給義務が生じる。不支給・減額には合理的根拠が必要 |
自社の就業規則を今すぐ確認してみてください。「支給することがある」という表現であれば、ひとまず支給義務の問題は生じにくい。しかし「〇ヶ月分を支給する」と明記されていれば、支給しない・大幅に減らすためには合理的な理由が必要になります。
就業規則の記載と実態がズレていると問題になる
労働基準法第89条では、常時10名以上の従業員を雇用する事業場に就業規則の作成・届出を義務付けており、賞与に関する事項は「定めをするならば記載しなければならない」相対的必要記載事項にあたります。
問題になりやすいのは、就業規則に基準が書いてあるのに実際の運用がまったく違うケースです。たとえば「査定に基づき支給する」と書いておきながら実際に査定は行っていない、というパターンは就業規則違反のリスクがあります。また就業規則を従業員に不利な方向へ変更したい場合は、労働契約法第10条に基づき、合理的な理由と従業員への周知が必要になります。
10名未満の会社でも「感覚決定」がリスクになる場面
就業規則の作成義務は10名以上ですが、それ未満の会社でも、個別の雇用契約書に賞与の条件を記載していれば同様の問題が起きます。また、従業員が「毎年もらえるものだ」と認識していた場合、慣行として労働条件化していると主張される余地もゼロではありません。規模にかかわらず、賞与の基準を言語化しておくことは最低限のリスク管理といえます。
「なぜこの金額なのか」と聞かれたとき、会社はどこまで説明する必要があるか
会社に「賞与の金額を詳細に開示する」法的義務は、一般には課されていません。しかし、説明できない状況が続くことで、不当な差別や違法行為と疑われるリスクが生じます。
説明義務の範囲:法律が求めていること
労働基準法上、賞与の支給額そのものを事前・事後に従業員全員へ開示する義務はありません。ただし、育児・介護休業の取得者や非正規労働者については話が変わります。
- 育児休業・介護休業の取得を理由とした賞与減額は、育児・介護休業法第10条・第16条等により明確に禁止されています。「休んでいたから減らした」という説明は法律上通りません。
- 有期契約社員やパートタイム労働者について「正社員だけに賞与を支給し、有期社員には一切支給しない」という運用は、支給目的によってはパートタイム・有期雇用労働法第8条(不合理な待遇差の禁止)に抵触するリスクがあります。最高裁は令和2年10月13日の大阪医科薬科大学事件・メトロコマース事件判決で、賞与の格差についての判断基準を示しています。
「不公平だ」と言われたときの現実的な対処
従業員から「なぜ自分の賞与が少ないのか」と問われたとき、完全に無視することは得策ではありません。特定の基準(性別・育児・年齢など保護属性)に基づいた差別であるという疑念を持たれると、労働局への申告や労働審判につながることがあります。
現実的な対処としては、「賞与は業績・勤務状況・会社の経営状況を総合的に判断して決定しています」という程度の説明を用意しておくことが最低ラインです。それ以上の透明性を求めるなら、次のセクションで紹介する基準の言語化が必要になります。
経営者や兼務人事が「どの基準で判断すべきか」「説明文言をどう整えるか」と迷うことは多いものです。判断に迷ったときは、専門家に相談しながら進めることで、後々のトラブルを大幅に減らせます。
休職者・問題行動のある社員への賞与はどう扱うか
長期休職中の従業員への賞与を減額・不支給にすること自体は、就業規則に合理的な根拠があれば許容されます。ただし、「病気で休んでいるから」という理由だけでの減額は、理由の性質によっては不当な差別と判断されるリスクがあります。就業規則に「出勤率〇%未満の場合は賞与を減額する」などの基準を明記しておくことが重要です。これがない状態で都度判断していると、後から「恣意的だ」と主張される温床になります。
人事専任なしでも始められる、最低限の制度整備
評価制度の整備は、コンサルタントに依頼しなくても、まず「基準を文書に落とすこと」から始められます。完璧な制度より、「説明できる状態」を目指すことが現実的な第一歩です。
就業規則の賞与条項を見直す
まず最初に確認すべきは自社の就業規則です。賞与条項の表現が「支給する」になっていないかどうかをチェックし、必要であれば「業績・勤務成績等を考慮して支給することがある」という裁量型の表現に修正することを検討します。変更の際は労働者代表の意見聴取と労働基準監督署への届出が必要です(労働基準法第89条・第90条)。
評価基準を「A4一枚」から始める
次に、賞与の決定に使う評価軸を文書化します。精緻な人事評価制度は不要です。たとえば以下のような項目を設定するだけでも、説明責任の土台になります。
- 会社業績への貢献度(売上・目標達成度など)
- 勤務態度・協調性(欠勤・遅刻の状況を含む)
- 会社全体の業績・財務状況
これをA4一枚にまとめて、「賞与の決定はこの観点で判断しています」と従業員に示せる状態にすることが最低ラインの整備です。評価の結果をすべて開示する必要はありませんが、どんな観点で判断しているかは示せる状態にしておきましょう。
非正規社員への賞与方針を決めておく
有期契約社員やパートタイム労働者がいる場合、賞与をどう扱うかの方針を明確にしておく必要があります。「支給しない」という判断をするなら、その理由(賞与の目的・趣旨)を整理しておきましょう。「賞与は会社への貢献度に応じた報奨であり、正社員とは責任・職務の内容が異なるため」といった根拠があれば、不合理な差別とは判断されにくくなります。根拠のない「正社員だから」だけでは、パートタイム・有期雇用労働法上のリスクが残ります。
トラブルになる前に整えておきたい、実務チェックポイント
賞与に関するリスクは、問題が起きてから対処するより、事前に状態を整えておくほうがはるかにコストが低くなります。以下の観点で自社の現状を点検してみてください。
就業規則と実態のズレを確認する
就業規則に賞与の支給基準や算定方法が書かれているにもかかわらず、実際の運用がまったく異なる場合、従業員から「就業規則通りに支払え」と求められるリスクがあります。就業規則の文言と実際の運用を並べて比較し、乖離があるなら文書を実態に合わせて修正するか、実態を文書に近づけるかの判断が必要です。
特定の属性に基づく差を排除する
賞与の決定プロセスを振り返り、以下の属性を理由に差をつけていないか確認します。性別、育児・介護休業の取得、妊娠・出産、年齢、国籍などは、法律上の保護対象です。「あの人は育休を取ったから少なくした」「女性だから将来定着しないと思って抑えた」といった判断は、明確な法律違反になります。感覚で決めてきた場合、こうした属性が無意識に影響していることがあるため、一度見直しておくことを強くお勧めします。
「決め方の記録」を残す習慣をつける
賞与を決定したプロセスを簡単でよいので記録に残しておきましょう。「今期の業績・各人の勤怠・会社の財務状況を踏まえ、社長・役員で協議の上決定した」という記録があるだけで、万一トラブルになったときの説明力が大きく変わります。議事録や決定メモをフォルダに保存するだけで十分です。
まとめ
賞与を感覚で決めてきたこと自体が即違法になるわけではありませんが、就業規則の書き方・育休取得者や非正規社員への扱い・判断根拠の不在などが重なると、法的リスクは確実に高まります。必要なのは完璧な人事評価制度ではなく、「説明できる状態」をつくることです。就業規則の条項確認、評価軸の文書化、決定プロセスの記録——この三つを押さえるだけで、リスクの大半はコントロールできます。
ただ、「何が自社にとって適切な基準なのか」「今の就業規則のどこが問題なのか」といった判断は、一人で抱えるには難しいこともあります。ウェルセンス株式会社では、人事専任がいない成長企業の経営者・兼務人事担当者の方からのご相談を受け付けています。「まずは現状診断から」「制度整備のポイントだけでも聞きたい」という段階でも、お気軽にご連絡ください。
よくある質問
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