「4月の定期異動の辞令、復職したばかりのAさんにも出していいのか……」。人事担当者として、こんな判断に迷った経験はないでしょうか。法律に「復職後○ヶ月は異動禁止」という明文規定は存在しません。だからこそ、「なんとなく待つべき気がするが根拠がない」という状態で判断を先送りしてしまいがちです。この記事では、安全配慮義務違反のリスクを回避しながら復職後の人事異動を適切に判断するための、実務で使える3つの基準と具体的な手順を解説します。
「復職後の異動は禁止」は法律上の規定ではない
結論から言うと、復職後の人事異動は一律に禁止されているわけではありません。ただし、判断を誤ると安全配慮義務違反として損害賠償請求につながるリスクがあるため、「どう判断するか」のプロセスが極めて重要です。
安全配慮義務とは何か
安全配慮義務は、労働契約法第5条に定められた使用者の義務です。「使用者は、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定されています。復職後の配慮期間中に異動を発令し、その後症状が悪化・再休職した場合、「適切な配慮を怠った」として安全配慮義務違反を問われる可能性があります。「悪意はなかった」という事情は、免責の理由にはなりません。
配転命令権と権利濫用の境界線
一方で、使用者には就業規則・労働契約に基づく配転命令権があります。最高裁判所は東亜ペイント事件(1986年)において、業務上の必要性があり、不当な動機・目的がなく、労働者に著しい不利益を与えない限り、配転命令は有効だと示しています。メンタル不調からの復職中という状況は、「著しい不利益」の評価に影響し得る点に注意が必要です。
自社の就業規則・復職規程を最初に確認する
法律に明文規定がなくても、会社が独自に「復職後○ヶ月間は原則として異動を行わない」と就業規則や復職規程に定めている場合は別です。その規程を破ると規程違反となり、トラブル時に会社が不利になります。異動を検討する前に、まず自社の就業規則・休職復職規程を確認することが大前提です。
安全配慮義務違反にならない3つの判断基準
復職後の人事異動が安全配慮義務違反にならないためには、「医学的根拠」「業務上の必要性」「配慮措置の実施」という3つの基準をすべて満たすことが重要です。
医学的根拠——主治医・産業医の意見を書面で取得する
復職後の社員に異動を検討する際、まず最初に確認すべきは医学的な安全性です。「現時点で職場環境の変化(人事異動)は医学的に問題ないか」という点について、主治医または産業医から意見を書面で取得してください。口頭での確認では、後の紛争時に証拠として機能しません。産業医が選任されていない50人未満の事業所では、主治医の意見書が実質的な根拠となります。
なお、主治医の診断書に「元の職場に戻ること」と記載されていても、それは人事権を拘束するものではありません。ただし、その意見を無視して異動を発令し症状が悪化した場合、「医師の警告を知っていたにもかかわらず動かした」として、安全配慮義務違反の評価が重くなります。医師の意見に反して異動を検討する場合は、特に慎重な記録と対応が求められます。
業務上の必要性——「なぜ今この時期に動かすのか」を説明できるか
人事異動には業務上の合理的な必要性が求められます。「定期異動の時期と重なっただけ」という理由だけでは不十分です。この社員でなければならない理由、この時期でなければならない理由を、第三者に対して明確に説明できる状態にしておく必要があります。逆に、業務上の必要性が薄いまま復職後間もない社員を異動させると、「嫌がらせ目的」と判断されるリスクもあります。
配慮措置の実施——「裸で異動させる」ことが最大のリスク
異動を発令すること自体より、配慮措置を伴わずに異動させることが安全配慮義務違反の本質的なリスクです。異動を行う場合は、勤務時間・業務量の段階的緩和の継続、新配属先の上長への情報共有(本人同意のもと)、フォローアップ面談の定期設定をセットで実施してください。厚生労働省のガイドラインも、職場復帰後のフォローアップ期間中における「職場環境の安定的な維持」を事業者に求めています。
産業医の意見が出た場合の対応手順
産業医が選任されている事業所では、産業医の意見が人事判断に大きな影響を持ちます。意見の取り扱いと対応の手順を正しく理解しておくことが、トラブル回避の鍵です。
産業医の役割と意見書の位置づけ
産業医は、労働者の健康管理について専門的な立場から意見を述べる役割を担います。ただし、産業医の意見は「医学的見地からの助言」であり、最終的な人事上の決定権は会社にあります。産業医が「異動は時期尚早」と述べた場合でも、会社がその意見を覆して異動を命じることは制度上可能です。しかし、その場合は「なぜ産業医の意見と異なる判断をしたのか」という合理的理由を記録しておかなければなりません。
産業医が選任されていない場合(50人未満の事業所)
従業員50人未満の事業所には産業医の選任義務はありません。この場合、主治医の意見書が医学的根拠の中心になります。ただし、主治医は患者(労働者)の治療を担当する立場であり、職場の実態を把握していないことも多いです。可能であれば、地域の産業保健総合支援センターが提供する産業医の無料相談を活用するか、スポット契約できる産業医サービスを利用して意見を求めることを検討してください。医学的判断が必要な場面で外部リソースを活用することは、判断の客観性を高めるうえでも効果的です。
意見が出た後の記録の残し方
産業医・主治医の意見を受けて会社がどのような判断をしたか、その経緯をすべて記録として残します。面談日時・参加者・主な発言内容・会社の決定とその理由を書面化してください。「言った・言わない」の問題を防ぐためにも、記録は複数人が確認できる形で保管することが重要です。
本人面談と記録——異動前に必ず行うべきこと
医師の意見を取得したうえで、異動を進める前には必ず本人との面談を実施してください。この面談の目的は「説得」ではなく「意向確認と懸念の把握」です。
面談で確認すべき3点
面談では、業務上の異動の必要性を率直に伝えること、本人の体調・不安・懸念を傾聴すること、異動にあたって会社が講じる配慮措置を具体的に説明することの3点を行います。「本人が同意した」という事実より「懸念を丁寧に確認し、対応策を講じた」というプロセスの記録が、後の紛争予防において重要な意味を持ちます。
本人が強く拒否している場合の対応
「体調を理由に異動を断っている」というケースでは、純粋な健康上の懸念なのか、ポジションや人間関係への不満が背景にあるのかを慎重に見極める必要があります。この判断を会社だけで行うと、後から「無理やり動かされた」と主張される可能性があります。拒否が続く場合は、改めて産業医・主治医に「異動可能か否か」の意見を求め、その結果をもとに判断するプロセスを踏むことが有効です。
判断基準を一覧で整理する
ここまでの内容を、事業所の状況別に整理します。自社の状況に当てはめて確認してください。
| 確認項目 | 産業医あり(50人以上) | 産業医なし(50人未満) |
|---|---|---|
| 医学的意見の取得 | 産業医の意見書(書面) | 主治医の意見書(書面)+可能なら産業保健センター相談 |
| 就業規則・復職規程の確認 | 必須 | 必須 |
| 本人との面談・記録 | 必須(意向確認・配慮措置の説明) | 必須(意向確認・配慮措置の説明) |
| 業務上の必要性の明文化 | 必須(第三者に説明できる形で) | 必須(第三者に説明できる形で) |
| 配慮措置の設定 | 勤務緩和継続・新配属先への情報共有・フォロー面談 | 勤務緩和継続・新配属先への情報共有・フォロー面談 |
| 記録の保全 | 医師意見書・面談記録・発令根拠資料 | 医師意見書・面談記録・発令根拠資料 |
よくある誤解と落とし穴
復職後の人事異動に関して、現場でよく見られる誤解を整理しておきます。誤った前提で判断を進めると、後から取り返しのつかないトラブルに発展することがあります。
「主治医が元の職場に戻すべきと書いていたら異動できない」という誤解
主治医の診断書に「元の部署に復帰すること」と記載されていても、それは人事権を制限するものではありません。ただし、その記載を会社が把握していながら異動を強行し症状が悪化した場合、「医師の警告を無視した」として安全配慮義務違反の評価が重くなります。診断書の記載内容を踏まえ、なぜ異動が医学的にも問題ないと判断したかを、改めて産業医・主治医に確認して記録に残すことが不可欠です。
「配慮期間中は何もしなければ安全」という思い込み
異動をしないことが常に安全とは限りません。「本来必要だった人事上の対応を、復職者への過度な配慮を理由に後回しにした結果、業務が停滞し他の社員に過大な負担が生じた」というケースも存在します。必要な異動を適切な手順で行うことと、不必要なリスクを回避することは、両立できます。
「半年待てば問題ない」という根拠のない基準
「なんとなく半年は待つべき」という判断には法令上の根拠がありません。重要なのは期間ではなく、異動時点での医学的な安全性・業務上の必要性・配慮措置の有無というプロセスです。3ヶ月でも適切なプロセスを踏めば問題にならないケースがある一方、1年後でも配慮措置なしに異動させれば問題になるケースもあります。
まとめ
復職後の人事異動は、法律上一律に禁止されているわけではありません。安全配慮義務違反にならないためには、「医学的根拠の書面取得」「業務上の必要性の明文化」「配慮措置とセットでの発令」という3つの基準を満たし、そのプロセスを記録として残すことが重要です。自社に産業医がいるかどうか、就業規則に規程があるかどうかによって対応の優先順位は変わりますが、「本人面談の実施と記録」は規模を問わずすべての事業所で必須です。
「うちの状況ではどうすればいい?」「このケース、実際に進めていいのか判断がつかない」という場合、人事の判断を一人で抱え込まず、専門家に相談することが後々のトラブル防止につながります。ウェルセンス株式会社では復職後の人事対応に関する個別相談を承っており、産業医がいない中小企業の人事担当者からのご相談も多数いただいています。実務的で具体的なアドバイスが可能ですので、判断に迷ったときはお気軽にご相談ください。
よくある質問
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