「既存の社員にも裁量労働制を適用したい。でも、どこから手をつければいいのかわからない」——人事専任者がいない中小企業では、こうした場面で手続きが止まってしまうことが少なくありません。裁量労働制は、適切に整備すれば優秀な人材が成果に集中できる柔軟な働き方を実現できる制度です。しかし、対象者の追加には法令上の要件確認・労使協定の整備・就業規則の変更・届出と、複数のステップを正確にこなす必要があります。この記事では、専門業務型・企画業務型それぞれの判断基準から、既存協定への追加手順、運用管理のポイントまでを体系的に解説します。
専門業務型か企画業務型か、まず制度の種類を見極める
裁量労働制には「専門業務型」と「企画業務型」の2種類があり、対象となる業務と必要な手続きがまったく異なります。どちらを適用するかによって、整備すべき書類も変わるため、まず自社の業務がどちらに当たるかを確認することが最初の分岐点です。
専門業務型——19業務に限定された職種向け
専門業務型裁量労働制(労働基準法第38条の3)は、厚生労働省令で定める19業務に従事する労働者が対象です。研究開発・システムアナリスト・コピーライター・公認会計士・弁護士・建築士・不動産鑑定士・証券アナリストなどが代表例で、業務リストへの該当性が判断の出発点になります。なお、2024年(令和6年)4月施行の省令改正により「銀行・証券会社における顧客の合意に基づく資産運用業務」や「M&A等に関するコンサルタント業務」が新たに対象に加わりました。自社の業種がこれらに近い場合は、省令の最新リストを必ず確認してください。
企画業務型——本社の中枢部門が対象、手続きは重め
企画業務型裁量労働制(労働基準法第38条の4)は、「事業の運営に関する事項の企画・立案・調査・分析を行う業務」が対象で、原則として本社・本店の経営中枢部門(経営企画、人事、マーケティング等)に勤務する労働者に限られます。労使協定ではなく「労使委員会」の設置と5分の4以上の多数による決議が必要となるため、専門業務型より手続きの負担が大きくなります。従業員20〜50名規模の企業では、委員会の設置・運営が現実的に難しいと感じるケースも多く、まず専門業務型の19業務に当てはまらないかを検討するのが実務上の定石です。
制度選択の判断フロー
迷ったときは、次の順序で判断してください。まず対象にしたい業務が省令19業務のいずれかに該当するかを確認します。該当すれば専門業務型の手続きへ進みます。該当しない場合、その業務が本社中枢部門での企画・立案・調査・分析業務であれば企画業務型の検討に移ります。どちらにも当てはまらない場合、裁量労働制の適用はできません。業務内容が曖昧な場合は、管轄の労働基準監督署に事前相談することを推奨します。
専門業務型の労使協定に必ず盛り込む事項
専門業務型を導入・拡大するには、労使協定の締結と労働基準監督署への届出が必須です。協定に記載すべき事項は法令で定められており、一つでも欠けると協定自体が無効になるリスクがあります。
令和6年改正で追加された「本人同意」要件
2024年4月の労働基準法施行規則改正により、専門業務型の労使協定にも「対象労働者本人の同意」と「同意しなかった場合の不利益取扱いを行わないこと」が必須記載事項として追加されました。既存の協定を更新する際には必ずこの項目を盛り込まなければなりません。同意書は個人ごとに取得・保管し、同意の事実を証拠として残すことが重要です。
協定の必須記載事項一覧
| 記載事項 | 実務上のポイント |
|---|---|
| 対象業務 | 省令19業務のうちどれに該当するかを明示する |
| 業務遂行の手段・方法・時間配分への不指示 | 使用者が具体的指示をしないことを明記する |
| 1日のみなし労働時間数 | 所定労働時間と乖離が大きい場合は根拠を残す |
| 健康・福祉確保措置 | 実施する措置を具体的に列挙する(後述) |
| 苦情処理措置 | 相談窓口・対応手順を明記する |
| 協定の有効期間 | 1年以内が望ましい(更新管理を徹底する) |
| 本人同意に関する事項(令和6年改正追加) | 同意の取得方法と不利益取扱い禁止を明記する |
労働者代表の選出と協定の締結
労使協定を締結する「労働者代表」は、使用者が指名する形ではなく、労働者の過半数を代表する者として適切に選出される必要があります。過半数労働組合がない企業では、挙手や投票など民主的な方法で選出し、その記録を残してください。選出の適正性を問われたときに記録がなければ、協定の有効性そのものが疑われます。
対象者を「追加」する場合の手続き——初回導入との違い
既に一部の社員に裁量労働制を適用済みで、新たに別の職種や社員を追加したい場合、「何をやり直す必要があるか」が実務上の核心です。追加の内容によって必要な手続きの範囲が変わります。
業務の種類を追加する場合——協定の変更と再届出が必要
現在の協定で対象としている業務とは別の業務(例:既存の「システムアナリスト業務」に加えて「研究開発業務」を追加する場合)を対象に加えるときは、協定の変更が必要です。これは実質的に新たな協定の締結と同等の扱いになり、労働者代表との再合意・署名と、労働基準監督署への再届出が必要です。協定書のタイトルを「変更協定書」として旧協定との関係を明示するか、旧協定を廃止して新たな協定を締結するかのいずれかで対応します。
同一業務・同一協定の範囲内で人を追加する場合——同意書のみ
既存の協定で定めた業務に新たに従事することになった社員を追加する場合は、協定の再締結や再届出は原則として不要です。この場合、追加する社員から個別の同意書を取得するだけで対応できます。ただし、就業規則の対象者範囲の記載と実態に齟齬が生じていないかを必ず確認してください。
みなし時間を変更する場合——必ず協定変更と再届出
新たに追加する社員について「現行のみなし労働時間では実態に合わない」と判断し、みなし時間を変更する場合は、協定変更と再届出が必要です。みなし時間は協定で明示された数値であるため、変更は協定の変更と同義です。なお、みなし時間の設定にあたっては、対象者が実際にどれくらいの時間をかけて業務を遂行しているかの把握データを事前に集めておくと、根拠が明確になります。
就業規則の変更と届出——見落としやすいポイント
裁量労働制の対象者を追加する際、労使協定の整備に集中するあまり、就業規則の変更を後回しにしてしまうケースが多く見られます。就業規則と協定の内容に矛盾があると、労基署の調査時に指摘を受けるリスクがあります。
就業規則に明記すべき内容
就業規則には、裁量労働制の適用対象となる業務・職種の範囲、みなし労働時間数、健康確保措置の概要、同意・解除の手続きについて規定する必要があります。対象者の追加に伴い、対象業務やみなし時間が変わる場合は、該当条項を改定しなければなりません。また、令和6年改正で義務化された「本人同意」の仕組みも就業規則に反映しておくと、運用の根拠が明確になります。
変更届出の手順と常時10人以上の条件
常時10人以上の労働者を使用する事業場は、就業規則の作成・変更時に労働者代表の意見書を添付して労働基準監督署に届け出る義務があります(労働基準法第89条・第90条)。10人未満の事業場でも就業規則を定めている場合は同様に届け出ることが推奨されます。届出を怠った場合でも就業規則の効力が即座に失われるわけではありませんが、法令違反として是正勧告の対象になりえます。変更後は必ず労働者に周知する手続き(掲示・配布・社内システムへの掲載など)も行ってください。
健康確保措置と日常運用管理——形骸化させないために
裁量労働制を適法に運用し続けるためには、協定の締結・届出だけでなく、日常的な健康管理と記録の維持が不可欠です。令和6年改正以降、健康確保措置の実施と実労働時間の把握が実質的に強化されており、「みなし時間を決めれば時間管理が不要」という誤解は危険です。
「みなし」でも深夜・休日は割増賃金が発生する
裁量労働制のみなし労働時間は、通常の労働時間(午前5時〜午後10時)における時間外労働のみなしであって、深夜労働(午後10時〜翌午前5時)や法定休日労働には適用されません。深夜・休日に業務を行った場合は別途割増賃金の支払いが必要です。また、みなし労働時間が法定労働時間(1日8時間)を超える場合は36協定の締結・届出も必要になります。裁量労働制=残業代ゼロという理解は誤りであり、この点を社内で明確に共有しておくことが重要です。
実労働時間の把握と健康確保措置の記録
令和6年改正の実務的な影響として、使用者は裁量労働制の対象者についても健康確保の観点から実労働時間を把握することが求められています。法令上は健康確保措置として次の中から選択・実施し、その実績を記録することが必要です。勤務間インターバルの確保、深夜業回数の制限、労働時間の上限設定、一定日数の年次有給休暇付与、健康診断の実施——これらのうち自社で実施する措置を協定に明記し、実施した事実を記録として残してください。記録がなければ、労基署の調査時に「措置を講じた」と主張しても証明できません。
不適用・解除のルールを事前に定める
本人の同意に基づいて裁量労働制を適用している以上、同意を撤回した場合の扱いや、業務内容が変わり対象要件を満たさなくなった場合の解除手順を就業規則または運用マニュアルに明記しておく必要があります。解除後の労働時間管理の方法(通常の時間管理への復帰手続き)まで事前に整えておくと、現場の混乱を防げます。産業医や顧問社会保険労務士がいない企業では、このような「想定外の事態への対処ルール」が抜け落ちがちですので、初期設計の段階で組み込んでおくことを強くお勧めします。整備の過程で質問や不明点が生じたら、労務の専門家に気軽に相談することで、実務的で着実な運用へと結びつきます。
まとめ
裁量労働制の対象者追加は、専門業務型・企画業務型の種別確認から始まり、労使協定の整備(令和6年改正対応含む)・就業規則の変更・労基署への届出・日常運用の記録維持まで、複数の工程を正確に積み重ねる必要があります。特に既存協定への追加の場合、追加内容が「業務の種類の追加」なのか「同一業務内での人の追加」なのかによって手続きの範囲が変わる点は実務上の重要な分岐です。また、みなし労働時間の設定だけで運用を終えるのではなく、健康確保措置の実施・記録・解除手順の整備まで含めて初めて適法な運用といえます。「自社の社員を裁量労働制の対象に追加したいが、何から手をつければよいかわからない」「既存の協定や就業規則をどこまで直せばいいか見当がつかない」という場合、ウェルセンス株式会社では人事労務の専門知識を持つスタッフが中小企業の実情に合わせて整備のサポートをしています。人事の課題を1人で抱え込まず、専門家と一緒に進める方が、トラブル防止と確実な対応につながります。一度、気軽にご相談ください。
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