「休職者がSNSに旅行写真を投稿しているのを社員が見つけた」「アルバイトをしているらしいと聞いた」——こうした報告が経営者や人事担当者の元に届いたとき、「何かできるのか」「何もできないのか」と判断に迷うケースが少なくありません。休職中の従業員には療養専念義務がありますが、その制限の範囲は「一行規定」では対応しきれないのが実情です。就業規則の整備状況・行為の内容・証拠の有無によって、会社が取れる対応はまったく異なります。この記事では、制限できるものとできないものの基準から、就業規則の文例、違反発覚時の対応手順まで、実務の目線で整理します。
療養専念義務とは何か、法的根拠を正確に理解する
療養専念義務とは、休職者が休職期間中に治療・回復に集中する義務のことです。ただし、この義務の強さは「就業規則に何が書かれているか」によって大きく変わります。
就業規則がない場合の法的根拠
就業規則に具体的な行為制限が書かれていない場合、療養専念義務は民法第1条第2項の信義則(信義誠実の原則)に基づく黙示の義務として解釈されます。「労働契約を結んでいる以上、回復できるよう誠実に行動すべき」という考え方です。しかし、信義則だけを根拠に懲戒処分を下すことは困難です。就業規則に懲戒事由として明記されていなければ、処分は無効となるリスクが高く、後述する手順が必要になります。
就業規則と労働契約法の関係
労働契約法第15条は、懲戒処分には「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」が必要と定めています。つまり、「療養専念義務に違反した場合は懲戒の対象とする」という文言が就業規則に存在しないまま処分をしても、裁判で無効と判断されるリスクがあります。逆に言えば、就業規則に適切な条項があれば、会社は正当な指導・処分ができるようになります。「規定がないのに指導できない」という状況は、就業規則の整備で解決できる問題です。
どこまで制限できるか——行為類型ごとの判断基準
「休職中だから何でも禁止できる」は誤りです。行為の種類と程度によって、制限の可否は変わります。以下の表を判断の出発点として使ってください。
| 行為類型 | 制限の可否 | 実務上のポイント |
|---|---|---|
| 有償の副業・アルバイト | 原則禁止が有効 | 就労能力があるのに休職中という矛盾が生じる。傷病手当金との関係でも問題になりやすい |
| 傷病と関係ない資格の勉強 | 程度・内容による | 軽度の知的作業は回復の妨げにならない場合もある。一律禁止は過度な制限と判断されることも |
| 国内旅行・外出・趣味活動 | 一律禁止は困難 | 療養の一環として許容される場合がある。主治医の許可を要件とする規定が現実的 |
| 海外渡航 | 事前申告・許可制は有効 | 緊急連絡手段の確保や病状確認が困難になる合理的理由がある |
| SNSへの投稿 | 限定的にしか制限できない | プライベートな表現活動の自由がある。ただし病状の虚偽申告の証拠になりうる |
| ボランティア活動 | 内容・頻度による | 継続的・定期的な活動は問題になりうる。有償でなくても同様に扱われる場合がある |
副業・アルバイトは「制限できる」が根拠が必要
休職中の有償労働は、就労能力があることを示す行為です。傷病手当金(健康保険法第99条)は「労務に服することができない状態」を支給要件としており、アルバイトの事実が発覚すると不正受給の問題が生じます。ただし、会社が直接健康保険組合や協会けんぽに申告する義務は原則なく、申告義務は本人にあります。会社としては、就業規則に禁止規定を設けたうえで事実確認・指導を行うことが中心になります。
資格取得の勉強・SNS投稿は「一律禁止」が難しい
「療養中に資格の勉強をしたい」という相談を受けた場合、一律禁止には慎重であるべきです。メンタルヘルス不調の回復期には、軽度の達成感や目標をもつことがリハビリとして有効な場合もあります。主治医が許可しているかどうかを確認することが現実的な対応です。SNS投稿も同様で、「元気そうな写真を投稿しているから懲戒できる」という直接的な論理は成立しません。ただし、休職事由と著しく矛盾する行為(精神疾患での休職者が毎日深夜まで飲み会に参加しているなど)は、復職判断や事実確認の材料となりえます。
海外渡航は事前届出・許可制で対応する
海外渡航を一律禁止することは難しいですが、「海外渡航する場合は事前に会社へ届け出て許可を得ること」という規定は合理性が認められやすいです。理由は明確で、緊急連絡が取れなくなるリスクの排除、主治医との継続的な治療関係の確認、復職時期の見通しへの影響確認という業務上の必要性があるためです。事後報告のケースでは、規定がなければ会社として指導する根拠が弱くなります。今後の対応として、就業規則への明記が最初の手当てになります。
現在進行中のケースがある場合、医学的な根拠を確認することで判断の精度が上がります。スポット産業医への相談も、コストと時間を抑えた選択肢として検討いただけます。
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就業規則の療養専念義務条項——整備のポイントと文例
療養専念義務に関する就業規則の規定は、「療養に専念すること」の一文だけでは機能しません。何が禁止または制限されるか、違反した場合どうなるかを具体的に書くことが必要です。
現状の「一行規定」のリスク
「休職期間中は療養に専念しなければならない」という一行規定しかない場合、具体的な行為制限の根拠が曖昧なため、従業員への指導が難しくなります。また、懲戒処分を行う際に就業規則上の根拠として機能しない可能性があります。労働契約法第10条に基づく就業規則の変更は、合理的な内容であれば比較的認められやすいですが、従業員への周知・説明が必要です。不利益変更にあたる可能性を排除するためにも、改定時には丁寧な手続きを踏みましょう。
盛り込むべき条項の文例
以下は実務で使いやすい条項の文例です。自社の規模・業種・既存の規程と照らし合わせて、顧問社労士や弁護士と確認しながら採用してください。
- 休職期間中は療養に専念し、会社の指示に従わなければならない。
- 休職期間中に有償の労働(アルバイト・業務委託・個人事業を含む)を行うことを禁止する。
- 海外に渡航する場合は、事前に会社に届け出て許可を得なければならない。
- 主治医が許可しない行為を行ったことが判明した場合、休職事由に変更があったものとみなして対応することがある。
- 前各号に違反した場合は、就業規則第○条の懲戒事由に該当するものとする。
懲戒規定との連動が最重要
療養専念義務条項を整備しても、懲戒事由の規定と連動していなければ処分の根拠になりません。「療養専念義務に違反した場合は懲戒の対象とする」という文言を懲戒規定のなかに明示するか、療養専念義務条項のなかで「懲戒事由に該当する」と明記することが必要です。規定整備の後は、従業員への周知(休職発令時の説明・書面交付など)を記録として残すことが後のトラブル防止につながります。
違反を発見したときの対応手順
休職者の療養専念義務違反を疑う情報が入ったとき、まず確認すべきは「就業規則に根拠があるかどうか」です。根拠の有無によって、その後の対応の重みが変わります。
事実確認は慎重かつ記録とともに
情報提供(SNS投稿の発見・知人からの証言など)があっても、まずは事実を確認するところから始めます。本人に対して書面または面談で事実確認を行い、回答を記録します。この際、「懲戒処分を前提にした尋問」にならないよう注意が必要です。「体調の確認も兼ねて」という形で情報収集をするケースもありますが、後の手続きの正当性のためにも、確認の目的・日時・内容を記録に残しておくことが重要です。
就業規則の有無で対応が分岐する
就業規則に療養専念義務違反の懲戒規定が明記されている場合は、事実確認ののち弁明の機会を与えたうえで処分を検討できます。一方、規定がない場合は、直ちに懲戒処分に進むことは難しく、まず規定整備を行うことが優先されます。規定整備前の違反行為については、訓戒・口頭注意といった懲戒未満の指導を行いつつ、以後の行為について規定に基づいて対応するという流れが現実的です。いずれの場合も、社労士・弁護士への相談を経てから処分手続きに入ることを強くお勧めします。
傷病手当金の不正受給が疑われる場合
アルバイトをしながら傷病手当金を受給している事実が確認できた場合、会社が直接支給停止を求める手続きをとることは原則できません。ただし、会社の証明書(傷病手当金申請の事業主欄)を作成する際に事実と異なる記載をしないことは当然です。また、協会けんぽや健康保険組合に対して「労務可能な状況にある可能性がある」という情報を提供することが適切かどうかは、状況によって変わります。判断に迷う場合は専門家に相談してください。
読者の状況別——今すぐ確認すべきこと
自社の状況に応じて、対応の優先順位は変わります。以下を参考に、今の自社がどのフェーズにあるかを確認してください。
就業規則に療養専念義務の具体的規定がない場合
最優先の対応は就業規則の整備です。現在進行中のトラブルがある場合でも、規定整備と並行して事実確認を進めることはできます。ただし、整備前の行為に対して懲戒処分を行うことは避け、今後の行為基準を明確にしたうえで対応を組み立てることが基本方針になります。専任人事がいない場合、顧問社労士に規程の見直しを依頼することが最も効率的な進め方です。
既に違反を疑う情報が入っている場合
情報の信頼性を確認しつつ、本人への事実確認の機会を設けます。この段階で「すぐに懲戒処分にしたい」という衝動は一度抑えてください。処分の手続きが不適切だった場合、後で不当解雇・不当処分として争われるリスクがあります。事実確認→弁明機会の付与→専門家への確認→処分判断、という流れを踏むことが重要です。
産業医がいる場合・いない場合
産業医(50人以上の事業場では選任義務あり)がいる場合、療養専念義務違反の疑いがある場面での就業判定や医学的な見解を求めることができます。産業医がいない規模の会社では、主治医への情報提供・確認(本人の同意が必要)や、外部の産業保健機関・EAP(従業員支援プログラム)の活用が現実的な選択肢です。
まとめ
療養専念義務による行為制限は、「就業規則に何が書かれているか」によって会社が取れる対応がまったく変わります。副業・アルバイトの禁止は原則として有効ですが、資格勉強・SNS投稿・外出の一律禁止は難しく、海外渡航は事前届出・許可制が現実的な対応です。懲戒処分を行うには就業規則への明記と適正手続きが不可欠であり、「一行規定」のままでは指導にも処分にも限界があります。まず就業規則の療養専念義務条項と懲戒規定の連動を確認・整備することが、すべての対応の基本になります。
人事判断を一人で抱え込むと、手続きの不備から後々トラブルに発展するリスクがあります。ウェルセンス株式会社では、休職・復職対応の規定整備から進行中のケース対応まで、段階に応じた相談をお受けしています。判断に迷う段階から気軽にお問い合わせください。
よくある質問
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