「休職者が出るたびに就業規則を見直してきたのに、また同じことが起きた」——そういう経験をしている経営者や人事担当の方は少なくありません。書類を整えるたびに「これで大丈夫なはずだ」と思っても、数ヶ月後にまた誰かが体調を崩す。このループから抜け出せない理由は、実は就業規則整備の「役割の限界」にあります。本記事では、就業規則が担う機能と、それだけでは届かない領域を整理しながら、中小企業が今日からできる具体的なアプローチをお伝えします。
就業規則整備が「守り」の基盤である理由
就業規則の整備は、職場のメンタルヘルス対策において不可欠な土台です。ただしそれは「守りの整備」であり、不調そのものを未然に防ぐ機能は原則として持っていません。
就業規則が果たす三つの役割
就業規則・休職規程・復職支援フローが整備されると、会社と従業員の双方にとって「何かあったときの拠り所」が明確になります。具体的には、休職開始の条件、休職中の給与・社会保険の取り扱い、復職判定の手続き、復職後の配慮期間といった事項が文書化され、担当者が変わっても同じ対応が取れるようになります。また、ハラスメント相談窓口の設置と就業規則への明記は、労働施策総合推進法(パワハラ防止法)が2022年4月から中小企業にも措置義務を課していることからも、法令遵守の観点で欠かせません。
就業規則は「起きた後の対処」を定めるもの
ここが重要な点です。就業規則は、不調が発生した後の対応手順を定めるものです。「誰かが休職になったとき、どう動くか」というルールを規定しているのであって、「そもそも誰かが不調にならないためにどうするか」という問いには、直接答えていません。社労士に相談すると就業規則整備を提案されることが多いですが、それはあくまで「有事の手続き整備」であり、不調多発という組織課題の根本原因への処方箋ではないのです。
安全配慮義務との関係を正確に理解する
「就業規則を整備したから安全配慮義務を果たした」という誤解は非常に多く、かつリスクが高い考え方です。労働契約法第5条が定める安全配慮義務は、「実際に労働者の心身の安全が守られる環境を整えること」を求めており、文書の整備だけでは義務を果たしたとは認められません。万が一メンタル不調による労災申請や損害賠償請求が生じた場合、裁判所が評価するのは「就業規則があったかどうか」ではなく、「実際の職場環境・上司の言動・会社の対処の実態」です。就業規則が完璧に整っていても、過重労働やハラスメントが放置されていれば、会社の責任が認められる可能性があります。
メンタル不調が繰り返される本当の原因
メンタル不調が多発・再発する職場には、就業規則では変えられない「組織の実態」が共通して潜んでいます。ルール整備で解決しないのは、原因が別の層にあるからです。
「個人の問題」から「組織の問題」へ視点を移す
最初の休職者が出たとき、多くの経営者は「あの人はもともとメンタルが弱かった」と捉えます。しかし2人目、3人目と続くとき、それは個人の資質ではなく、組織として何らかの問題が蓄積しているサインです。厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」では、労災認定の判断において長時間労働・上司の言動・職場環境が評価対象とされており、就業規則の整備有無は直接関係しません。つまり国の基準においても、問題の本質は「職場の実態」にあると位置づけられています。
管理職の対応スキル不足が不調を悪化させる
中小企業で特に多いのが、管理職(現場リーダー)がメンタル不調への対応スキルを持っていないケースです。部下が「しんどい」と打ち明けたとき、「頑張れ」「気にするな」と返してしまうのは悪意からではなく、単純にどう対応すればよいかを知らないからです。あるいは逆に、過度に心配して毎日声をかけ続け、本人をかえって追い詰めることもあります。管理職の一言が、部下の不調を早期発見につなげることもあれば、悪化させることもある。この事実は、就業規則では変えられません。
「相談できない文化」が初期対応を遅らせる
相談窓口を就業規則に明記しても、「相談したら評価に響くのではないか」「上司に知られたくない」という空気が職場に漂っていれば、誰も使いません。制度の有無と、制度が実際に機能しているかどうかは、まったく別の問題です。心理的安全性——つまり「ここでは失敗や弱さを見せても攻撃されない」という感覚——が低い職場では、不調のサインは隠蔽される方向に働きます。そして初期対応が遅れるほど、回復にも時間がかかります。
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就業規則整備と組織風土改善、何から始めるか
就業規則整備と組織風土改善は、どちらか一方ではなく両方必要です。ただし優先順位と進める順番は、会社の現状によって異なります。
現状を確認するための判断軸
まず、自社の状況を以下の観点で整理してみてください。就業規則・休職規程が未整備であれば、それは急ぎ対応すべき「法的リスク」です。一方、すでに就業規則が整備されているにもかかわらず休職者が続いている場合は、組織風土の問題に踏み込む段階に入っています。
| 自社の状況 | 優先すべき対応 |
|---|---|
| 就業規則・休職規程が未整備 | まず就業規則の整備(法的リスク管理が先決) |
| 就業規則はあるが、休職・復職フローが不明確 | 規程の補完と同時に、管理職への研修も開始 |
| 規程は整備済み、それでも不調が続く | 組織風土改善を主軸に。制度の「実態」を点検 |
| 休職者の再発が繰り返されている | 復帰後の環境整備と管理職対応スキルの強化が急務 |
二段構えで考える全体像
メンタルヘルス対策は、「守りの整備(就業規則)」と「攻めの整備(組織風土改善)」の二段構えで捉えるのが最も実態に合っています。守りの整備は有事のリスクを抑えるもの、攻めの整備は有事そのものを減らすものです。どちらが欠けても、片輪走行になります。リソースが限られている中小企業こそ、この全体像を持った上で着手順序を決めることが、遠回りのようで実は最短ルートになります。
「何から始めたらいいか判断がつかない」という場合は、産業医や専門家に現状を見てもらい、自社に必要な対応の優先順位をつけてもらうのも有効です。
組織風土改善のために今日からできる具体策
「組織風土の改善」と聞くと大がかりに感じますが、中小企業でも実行できる具体的なアクションがあります。大切なのは、難しいことを一度に全部やろうとしないことです。
管理職のラインケア研修から着手する
効果が出やすく、かつ現実的な最初の一手は、管理職向けのラインケア研修です。ラインケアとは、上司(ライン)が部下の変化に気づき、適切に声をかけ、必要に応じて専門家・人事につなぐ一連の対応スキルのことです。「休みがちになった」「ミスが増えた」「表情が暗くなった」といった初期のサインに気づく目を持つことで、早期介入が可能になります。研修は外部の専門機関に委託できるものも多く、半日から1日程度のプログラムで基礎的なスキルを習得できます。管理職が10名以下の中小企業であれば、全員参加型で実施しやすいという利点もあります。
1on1の仕組みを導入する
定期的な1on1(上司と部下の1対1の対話の場)は、相談しやすい文化を作る上で最もシンプルで効果的な仕組みです。月に一度、30分程度でも継続することで、部下の変化に早期に気づけるようになります。ポイントは「業務の進捗確認の場」にしないことです。「最近、仕事でしんどいと感じることはあるか」「職場で困っていることはないか」という問いかけを習慣にするだけで、心理的安全性は少しずつ育まれます。特別なシステムや予算がなくても始められます。
業務量の実態把握と過重労働の是正
どれほど管理職の対応スキルを高めても、そもそも業務量が人的許容範囲を超えていれば不調は繰り返されます。残業時間・業務集中度・有給消化率などを定期的に可視化し、特定の人・部署に負荷が偏っていないかを点検することが必要です。「みんな忙しいのは同じだから」という空気が、SOSを出せない文化を作っている場合があります。業務量の是正は、会社としての意思表示でもあります。
復職後の再発を防ぐために見直すべきこと
休職者が職場に戻った後、また同じことが繰り返されるのは、復職支援の設計に「環境の見直し」が抜けているからです。本人の回復だけをゴールにしても、戻る職場が変わっていなければ意味がありません。
復職支援は「本人の準備」と「職場の準備」の両輪
復職に向けた支援として、主治医の診断書取得・産業医面談・段階的な業務開始(リハビリ出社)といったフローを整備している企業は増えています。しかし、「職場側の準備」が抜け落ちているケースが目立ちます。復帰した本人が戻る職場の上司は、どう接すればよいかを理解していますか?業務量は調整されていますか?「また気にしすぎるタイプが戻ってきた」という空気がないですか?これらが整っていなければ、復職は単なる「再燃の場所へ戻ること」になりかねません。
職場環境そのものを変える視点を持つ
再発を防ぐためには、休職者個人へのフォローと並行して、不調が生まれた職場環境の要因分析と改善が必要です。「なぜこの人が不調になったのか」を、個人の脆弱性だけで説明するのではなく、「この人が不調になるほどの職場環境が存在していたのではないか」という視点で振り返ることが出発点です。そのためのツールとして、ストレスチェック(常時50名以上は義務、49名以下は任意)の集団分析結果を活用したり、無記名でのアンケートを実施したりすることで、職場の実態を客観的に把握することができます。
復職支援の設計や職場環境の改善策について、人事だけで判断するのは難しい場合もあります。産業医や外部の支援機関に相談し、客観的な視点を入れることで、より実効性のある対応ができます。
まとめ
就業規則の整備は、職場のメンタルヘルス対策における「守りの土台」として不可欠です。しかしそれは有事の手続きを定めるものであり、不調の発生そのものを防ぐ機能は持っていません。メンタル不調が繰り返される職場には、管理職のスキル不足・相談できない文化・過重労働の放置といった組織的な要因が潜んでいます。就業規則整備と組織風土改善の両輪を意識し、自社の現状に合った優先順位で着手することが、遠回りのようで最も確実な解決策です。
ウェルセンス株式会社では、就業規則の整備にとどまらず、管理職研修・職場環境の実態把握・休職復職支援の設計まで、組織の実情に合わせて一緒に考えるご支援をしています。「何から手をつければいいかわからない」という段階からでも、ぜひお気軽にご相談ください。
よくある質問
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