「とりあえず、しばらく来ないでください」——そう口頭で伝えてから数日後、「給与はどうなりますか」と従業員から連絡が来た。そのとき、正しい答えをすぐに言えますか?自宅待機命令は緊急対応であるがゆえに、根拠も書面もないまま発令してしまいがちです。しかし給与を払うかどうかは法律で明確に分かれており、対応を誤ると未払い賃金の請求や労働審判に発展するリスクもあります。この記事では、給与支払義務の判断基準・休業手当の計算・命令書の書き方を実務に沿って解説します。
「払う」か「払わない」かは命令の理由で決まる
自宅待機命令を出したとき、給与(休業手当)を支払う義務があるかどうかは、その命令が「会社都合」か「従業員都合」かによって決まります。この一点が最大の判断軸です。
会社都合か従業員都合かの線引き
労働基準法第26条は、「使用者の責に帰すべき事由による休業」の場合、平均賃金の60%以上を休業手当として支払う義務を定めています。ここでいう「使用者の責に帰すべき事由」は、民法上の帰責事由よりも広く解釈されており、経営判断・業務上の都合・ハラスメント調査中の加害者隔離など、会社側の判断で従業員を休ませたケースは広くこれに含まれます。
一方、従業員本人の事情(刑事事件への関与・就業規則違反の懲戒手続き開始など)が原因の場合は、会社の帰責事由がないとされ、休業手当の支払い義務が生じないケースもあります。ただし「本人の事情」だからといって一律に払わなくてよいわけではなく、後述する落とし穴があります。
判断に使える3つの基準
現場で判断に迷ったときは、以下の3点を確認してください。
- 誰が「来るな」と決めたか:会社側が「来ることを禁じた」なら会社都合。本人が自ら休むことを申し出たなら従業員都合(欠勤)。
- 就業規則に根拠条項があるか:懲戒処分としての出勤停止なのか、調査・安全配慮目的の自宅待機なのかで法的性質が異なります。
- 不可抗力に該当するか:天災・法令による行政命令など「不可抗力」であれば休業手当の支払い義務は生じません。ただし感染症対策を理由にした自宅待機は不可抗力と認められないケースが多いため注意が必要です。
会社都合・従業員都合の具体例早見表
| 自宅待機の理由 | 会社 or 従業員都合 | 休業手当の支払い |
|---|---|---|
| 業務量調整・繁閑の都合 | 会社都合 | 必要(60%以上) |
| ハラスメント調査中の加害者隔離 | 会社都合 | 必要(60%以上) |
| メンタル不調者に「来ないで」と会社が指示 | 会社都合 | 必要(60%以上) |
| 懲戒処分(出勤停止)の手続き開始 | 従業員都合の側面あり | 規定・状況による |
| 本人が自主的に休んでいる(欠勤) | 従業員都合 | 不要 |
メンタル不調者への自宅待機は要注意
メンタルヘルス不調を理由とした自宅待機は、「本人の病気が原因だから払わなくてよい」と誤解されがちですが、会社が「来ることを止めた」と判断されれば、休業手当の支払い義務が生じます。
「欠勤」と「自宅待機命令」は全く別物
本人が体調不良で自ら休む「欠勤」と、会社が出勤を禁じる「自宅待機命令」は法的に異なります。たとえ不調の原因が従業員本人にあったとしても、「しばらく来ないでください」「診断書が出るまで自宅で待機してください」と会社側が指示した時点で、会社の帰責事由が認定されるリスクがあります。
口頭であっても「会社側が来ることを止めた」と受け取れる発言は要注意です。後から「あれは業務命令だった」と主張されると、未払い賃金の問題に発展します。
診断書待ちの期間の扱い
主治医の診断書が届くまでの間、会社が「念のため自宅で待機してください」と指示するケースがあります。この場合、会社側の安全配慮義務(労働契約法第5条)に基づく判断として「会社都合の自宅待機」と認定されやすく、休業手当の支払いが必要になることがほとんどです。
安全配慮の観点から出勤を止めること自体は適切な対応ですが、そのコストを従業員に全額負わせることはできない、というのが法律の考え方です。
産業医・就業規則がある場合とない場合の対応の違い
産業医が選任されている場合(従業員50人以上の事業場では法定義務)は、産業医の意見を踏まえた就業制限を書面で残すことで、対応の正当性を記録として保全できます。産業医がいない場合は、主治医の診断書を根拠にしつつ、自宅待機命令書を発行して会社の判断を文書化することが重要です。就業規則に「メンタルヘルス不調時の就業制限」規定があれば、それを根拠条項として明記します。
休業手当の計算方法
休業手当の支払い義務が生じる場合、支払額は「平均賃金の60%以上」と定められています。まず平均賃金の計算方法を確認しましょう。
平均賃金の計算式
平均賃金は、労働基準法第12条に基づき、以下の式で算出します。
- 算定事由発生日(自宅待機命令の初日)の直前3か月間に支払われた賃金の総額 ÷ その期間の総暦日数
たとえば、直前3か月の賃金合計が90万円、暦日数が92日の場合、平均賃金は約9,783円(1日あたり)となります。この60%が休業1日あたりの手当の最低ラインです(約5,870円)。月給制の場合は給与明細と雇用契約書を参照してください。なお、賞与・臨時的な賃金は原則として算定に含めません。
「ノーワーク・ノーペイ」を適用できない落とし穴
「働いていないのだから給与を払わなくていい」というノーワーク・ノーペイの原則は、使用者側の都合で休業させた場合には適用できません。会社都合の自宅待機に対してノーワーク・ノーペイを主張した場合、後から労働基準監督署への申告や労働審判につながるリスクがあります。懲戒処分の調査中に「調査が終わるまで無給で自宅待機させる」という対応も、就業規則の根拠と賃金規定の確認なしには行えません。
自宅待機命令書の書き方と必須記載事項
自宅待機命令を口頭だけで行うことは法的リスクが高く、必ず書面(命令書)を発行してください。書面があることで、命令の根拠・内容・賃金の取り扱いを明確にし、後のトラブルを防げます。
命令書に必ず盛り込む6つの要素
自宅待機命令書には、以下の6点を必ず記載します。
- 命令の根拠:就業規則の条項番号(例:「就業規則第○条に基づき」)を明記する。根拠条項がない場合は、業務命令の効力が争われる可能性があります。
- 命令の理由:具体的な事実を記載する。「業務上の事由により」のような抽象的な記載はNG。「○○に関する事実確認のため」のように特定する。
- 期間:開始日と終了日、または「調査終了まで」のような終了条件を明記する。期間の定めがない命令は長期化しやすく、法的リスクが高まります。
- 賃金・休業手当の取り扱い:「休業手当として平均賃金の60%を支給する」など、支払い方針を明記する。
- 期間中の連絡方法:緊急時の連絡先・報告の頻度・呼び出し時の対応などを明示する。
- 命令者の署名・押印:会社代表者または権限を持つ管理者が署名・押印する。
就業規則に根拠条項がない場合の対応
就業規則に自宅待機・出勤停止に関する規定がない場合、命令の有効性が争われるリスクがあります。緊急対応として業務命令として発令することは可能ですが、同時に就業規則の整備も検討してください。特に「懲戒処分としての出勤停止」と「調査・安全配慮目的の自宅待機」は法的性質が異なるため、就業規則上でも分けて規定することが望ましいです。20~50名規模の企業では、就業規則が古いまま放置されているケースが多く、自宅待機命令を機に全体を見直す機会にすることをおすすめします。
🔗 メンタル不調者の自宅待機は判断が難しいため、産業医に相談して適切な対応を検討することをお勧めします。 →
自宅待機が長引いたときの「出口」をどう設計するか
自宅待機命令は、終了条件を決めずに発令すると長期化しやすく、企業・従業員双方にとってリスクが高まります。命令を出すと同時に、終わらせ方(出口)も設計しておくことが実務の鉄則です。
期間設定と延長の考え方
命令書には終了日または終了条件を必ず設定してください。調査目的の自宅待機であれば「調査終了後○日以内に通知する」、メンタル不調者への対応であれば「主治医の診断書提出後、会社が就業の可否を判断する」のように具体的な条件を書きます。やむを得ず延長する場合は、延長命令書を改めて交付し、賃金の取り扱いも再度明示します。
復帰・解雇・休職への移行の判断軸
自宅待機の終わり方は主に3つです。まず、調査が終わり問題がなければ職場復帰します。次に、懲戒処分の結果として出勤停止・降格・解雇などの処分を行います。そして、メンタル不調が継続する場合は休職命令への移行を検討します。いずれの場合も、就業規則の規定に沿って手続きを踏むことが必要です。特に解雇は、自宅待機中の事実確認や本人との面談記録がないと客観的合理性・相当性(労働契約法第16条)が問われます。自宅待機期間中に記録を整備しておくことが、後の対応を守ります。
🔗 給与計算や法的判断に迷ったら、スポット産業医に相談し、専門家のアドバイスを取り入れた対応をしましょう。 →
まとめ
自宅待機命令と給与の関係は、「会社都合か従業員都合か」という一点で支払い義務が分かれます。会社側が「来るな」と指示した場合は原則として休業手当(平均賃金の60%以上)の支払いが必要です。メンタル不調者への対応・ハラスメント調査中の隔離・業務調整など、多くのケースが会社都合と判断されます。口頭だけで命令を出すことは法的リスクが高く、命令書の発行・就業規則の根拠確認・終了条件の設定がセットで必要です。
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