「本人が休みたくないと言っている。でも、このまま働かせ続けて何かあったら……」——経営者や兼務人事の方から、こうした相談を受けることは珍しくありません。メンタル不調を抱えながらも「自分は大丈夫」と主張する社員への対応は、本人の意思を尊重したいという気持ちと、会社としての責任のあいだで判断に迷いやすい場面です。この記事では、本人が休職を拒否している状況で会社がどこまで動く義務があるのか、何をすれば安全配慮義務を果たしたといえるのか、そして万一のときに会社を守る記録の残し方を、実務レベルで整理します。
「本人が大丈夫と言っている」は会社の免責にならない
安全配慮義務は、社員本人の意思や同意とは関係なく会社に課される義務です。「休みたくない」という本人の発言があっても、会社の責任はなくなりません。
安全配慮義務とは何か
労働契約法第5条は「使用者は、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定めています。この義務は、社員が「頑張ります」「まだ働けます」と言ったとしても、自動的に消えるものではありません。会社が安全配慮義務を怠ったと判断された場合、不法行為や債務不履行を根拠に損害賠償を請求されるリスクがあります。
「本人の意思」が果たす役割と限界
「本人が同意していた」という事実は、裁判や紛争になった際に会社側の過失を軽減する一要素にはなりえます。しかし、免責の根拠にはなりません。過去の裁判例でも、「本人が申告しなかった」「本人が希望していた」という事情があっても、会社側の安全配慮義務違反が認められたケースは複数存在します。「本人が大丈夫と言ったから放置した」という対応は、会社にとって大きなリスクとなります。
専任人事がいない会社ほど判断が遅れやすい理由
専任の人事担当者がいない20~50名規模の会社では、上司や経営者が日常業務と並行しながら人事判断をしなければなりません。「気になるけど仕事も忙しいし、本人が大丈夫と言っているなら様子見でいいか」という判断の先送りが起きやすい構造があります。しかし、様子見の間にも会社の義務は発生し続けており、不調が重篤化してからでは手遅れになることもあります。
会社が取れる具体的な措置——休職拒否でも動ける対応
社員が休職を拒否しているとき、会社は何もできないわけではありません。就業規則や法的根拠に基づいて、段階的に対応を進めることができます。
業務負荷の調整と就業制限
まず取り組みやすいのは、残業の禁止や業務量の軽減です。「休職はしたくない」という本人の意向を尊重しながらも、深夜業の制限、出張の免除、特定の業務からの一時外しなど、働き続けることを前提にした負荷軽減措置をとることができます。20~30名規模では担当できる業務の幅が限られますが、「今週は報告書作成だけに集中してもらう」「客先対応から一時的に外す」といった現実的な調整でも、会社が措置を講じたという記録になります。
受診の勧奨と意見書の提出要請
会社が社員に受診を「命令」する法的権限はありませんが、受診を強く促すこと、そして就業継続を認める条件として主治医の意見書の提出を求めることは、合理的な措置として認められています。受診勧奨の際は「あなたのことが心配だから」という姿勢で伝え、強制ではなく促すかたちをとることが重要です。意見書の提出を求める場合は、その旨を書面またはメールで伝え、内容と日時を記録しておきましょう。
就業規則に基づく就業禁止・休業命令
多くの就業規則には「業務の遂行に支障をきたすおそれがある健康状態の場合、会社は就業を禁止または制限できる」旨の規定があります。この規定を根拠に、会社は本人の意思に反しても休業を命じることが可能です。ただし、就業規則にこの規定がない場合は整備が必要です。まず自社の就業規則を確認し、規定がない場合は専門家に相談して追加することを検討してください。
判断に迷う場合や、就業規則の改定を検討している場合は、専門家のアドバイスを活用することで、後々のトラブルを防ぐことができます。
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産業医がいない会社(50名未満)の対応ルート
産業医がいないからといって、専門家の意見を得る手段がないわけではありません。50名未満の会社には、活用できる無料の公的支援があります。
地域産業保健センター(産保センター)の活用
50名未満の事業場は産業医の選任義務がありませんが(労働安全衛生法第13条)、各都道府県に設置されている「地域産業保健センター(産保センター)」を通じて、産業医への無料相談が受けられます。社員の就業可否についての医学的意見や、会社として取るべき対応についてのアドバイスを得ることができます。「専門家の意見を確認した上で判断した」という事実は、会社が義務を果たしたことの重要な証拠になります。
主治医への照会と情報収集
社員に主治医がいる場合、本人の同意を得た上で主治医に就業継続の可否について意見を照会することができます。同意書を書面で取得し、照会の内容と回答も記録に残しておきましょう。主治医の「就業可能」という意見があれば、そのまま就業を継続する根拠になります。一方で主治医が「休養が必要」と述べているにもかかわらず本人が拒否している場合は、就業規則に基づく休業命令の検討が必要なフェーズです。
50名以上の会社:産業医の関与を必ず経る
50名以上の事業場では産業医の選任が義務づけられています。メンタル不調社員の就業継続を認める場合は、産業医の意見を確認せずに判断することはリスクが高く避けるべきです。産業医が「就業継続は難しい」と判断した場合、その意見を無視して働かせ続けることは安全配慮義務違反の可能性が高まります。産業医の意見書は必ず取得し、記録として保管しておきましょう。
安全配慮義務を果たしたと言えるための記録の残し方
「対応した」という事実があっても、記録がなければ証明できません。面談・措置・勧奨のすべてを記録に残すことが、会社を守る実務の核心です。
面談記録に必ず含める項目
面談を実施した際には、以下の内容を書面または電子ファイルで記録します。口頭だけで終わらせることが最も危険なパターンです。
- 面談の日時と場所
- 参加者の氏名(上司・経営者・人事担当者など)
- 面談の主な内容(業務状況・体調確認・本人の発言内容)
- 本人が述べた具体的な発言(「自分は大丈夫」「休みたくない」等)
- 会社側が提案・提示した対応や選択肢
- 次回対応の予定や確認事項
特に「本人が休職を拒否した」という事実は、その発言の内容と日時を具体的に記録しておくことが重要です。
措置・勧奨の記録化と通知方法
業務軽減や残業禁止といった配慮措置は、口頭で伝えるだけでなく、メールや書面で内容を確認するかたちにします。「先ほどお伝えしたとおり、当面の間は残業を禁止します」という一文をメールで送るだけでも、記録として有効です。受診勧奨も同様に、「勧奨した日時・本人の反応」を記録し、可能であれば書面または電子メールで勧奨の事実を残します。
記録の管理と引き継ぎ体制
記録は人事フォルダ(アクセス制限付き)に一元管理し、担当者が変わっても引き継げる状態を維持します。ファイル名に日付を入れ、時系列で追えるようにしておくと後からの確認がしやすくなります。「あの面談、誰が記録しているのか分からない」という状態は、専任人事がいない会社で起きやすい落とし穴です。記録の保管担当者を明確に決めておきましょう。
状況別・会社の対応判断チャート
会社の規模や社員の状況によって、取るべき対応の優先順位は異なります。自社のケースに当てはめて確認してください。
| 状況 | 優先すべき対応 |
|---|---|
| 50名未満・産業医なし・主治医への受診なし | 受診勧奨を行い、産保センターへの相談を検討する |
| 50名未満・主治医が「休養が必要」と判断済み・本人が拒否 | 就業規則に基づく休業命令の発令を検討する |
| 50名以上・産業医あり・就業可否の意見未取得 | 産業医の意見を必ず取得してから就業継続の可否を判断する |
| 就業規則に就業禁止規定なし | 速やかに規定を整備する。それまでは専門家(社労士等)に相談して対応方針を決める |
| 面談・措置の記録がない | 今日から記録を開始する。過去の対応も覚えている範囲でメモとして残す |
よくある落とし穴と誤解の整理
メンタル不調社員への対応では、善意の判断が後から問題になるケースがあります。現場で起きやすい誤解を事前に確認しておきましょう。
「本人が同意しているから大丈夫」という誤解
繰り返しになりますが、本人の同意や希望は安全配慮義務の免責根拠にはなりません。「本人が頑張りたいと言ったので、会社としてはその意思を尊重した」という説明は、会社側の義務履行を証明するものにはなりません。本人の意思を尊重しながらも、会社として必要な措置を講じたことを記録で残すことが必要です。
「何かあってから対応すれば間に合う」という誤解
メンタル不調は、重篤化してから対応を始めると回復までの期間が長くなります。また、会社として「気づいていたのに対応しなかった」という事実が損害賠償請求の根拠になりえます。不調のサインが見えた時点で記録を開始し、段階的な措置を取ることが、社員にとっても会社にとっても最善の対応です。
「記録は何かあってから整理すればいい」という誤解
後から記録を整理しようとしても、日時・発言内容・対応の詳細は時間が経つにつれて不正確になります。裁判や労務トラブルの場面では、記録の日時と内容の正確さが会社の主張の信頼性を左右します。「面談のその日のうちに記録する」を習慣にすることが、最も確実なリスク管理です。
まとめ
メンタル不調社員が「休みたくない」と主張しているとき、会社は「本人の意思だから」と手を引くことはできません。安全配慮義務(労働契約法第5条)は社員の同意とは無関係に会社に課される義務であり、放置は損害賠償リスクに直結します。会社が取れる対応は、業務負荷の調整・受診勧奨・意見書の提出要請・就業規則に基づく就業制限と多岐にわたります。産業医がいない50名未満の会社は、地域産業保健センターや主治医への照会を活用する方法があります。そして、どの対応をとった場合も「面談の記録・措置の通知・勧奨の事実」を文書化して残すことが、会社を守る実務の核心です。
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よくある質問
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